冊子・ビラ・書籍
冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口
2 反対派の手口
5.監禁中の強制改宗
(1)包丁を使用した対話の強要
信者を監禁しても、高澤牧師との対話に応じなければ信者を改宗させるのは困難です。監禁から脱出した信者の中には、高澤牧師が監禁場所で包丁を持ち出し、対話を強要してきたと証言する者が複数います。統一教会側弁護士が、こうした信者の陳述書を引用しつつ尋問すると、高澤牧師は、話し合いに応じようとしない信者に対し、包丁を持ち出して、話し合いに応じるよう迫っていた事実を認めました【注73】。以下は、ある信者の陳述書の一部です。
初めて高澤牧師が私の所に来た時「お母さん包丁を貸して下さい」と言って母から借りた包丁を私の目の前に置き「君は原理が真理だと思うなら私を殺してから行きなさい。君たちも命がけでやっているなら僕たちも命がけだ。さあどうだ」
高澤牧師は、この陳述が事実であることを認めています【注74】。高澤牧師の証言によれば、この女性信者は監禁されて5か月間、一言も喋らなかったために、「私を殺してから行くくらいの勇気があるんだったら、それをしなさい。そうでないんだったら、話し合いましょう」という意味で包丁を目の前に示したと証言しています【注75】。以下も、先の陳述書の一部です。
「包丁を使うのはこれが最後だ」と言って、先回母から借りた包丁より大きい包丁を自分で買ってきてそれを私の目の前に置き「君たちも真剣なら僕も真剣だ。命がけの決意で来た。私はイエス様を信じているからこの命も惜しく無い。君の態度が変わらないなら僕にも考えがある。しばらくはここに来るけれど君の態度いかんによっては神戸に移ってもらおうと思っている」と口を開かない私に対して包丁を使って脅しながら言いました。
この部分についても、高澤牧師は認めました。ただし「私の方を刺して行きなさい」ということで「脅した」わけではないと主張しています【注76】。
5か月間も監禁された女性が、絶対に外に逃げられない状況で、目の前に包丁を出されたら、恐怖を感じるのは当然です。高澤牧師は監禁された信者が恐怖心を抱くのを十分承知していたはずです。しかもその目的は、高澤牧師との対話に応じさせることにあります。この行為は脅迫を手段とした強要です。「君は原理が真理だと思うなら私を殺してから行きなさい」という発言は、「私を殺さない限りあなたはここから出られない」ということに他なりません。また「君たちも命がけでやっているなら僕たちも命がけだ。さあどうだ」という言動も、「私はあなたを命がけで監禁している」ということを意味しています。このような発言を受ければ、信者は高澤牧師の言いなりになる以外、監禁場所から出ることができないという絶望感に陥ります。岡本圭二君のように命がけで脱出を試みようとする信者が出てくるのも当然なのです。
なお、高澤牧師は、この女性信者が5か月間一言も喋らなかったことをもって、包丁持ち出しの弁明をしようとしています。しかし、信者の意思に反して拘束していること自体が違法であり、女性の態度はその違法行為に対する正当な抗議に他ならず、非難には値しません。
(2)監禁場所での対話の内容
高澤牧師は、監禁場所で信者に対し、何を話しているのかについて、統一教会の教義である統一原理と、聖書の教えとを比較しながら、統一原理の間違いを提示することだと証言しています【注77】。
そして「統一教会の教義のどこが具体的に間違っているのか」という質問に、高澤牧師は「韓国に再臨のメシヤが現れるのが間違い」「文鮮明が再臨のメシヤであるのは間違い」「復帰摂理の教義が誇大妄想に走りがち」などと答えています【注78】。これらは、統一教会の教えが従来の教会の教えと相違しているというだけで、「教義論争」の対象とはなり得ても【注79】、客観的に間違いだと言える内容ではありません。しかも、高澤牧師が認識しているように、文鮮明師がアルゼンチンのカトリック大学から名誉博士号を授与され【注80】、1995年8月に行われた国際合同結婚式に世界中から多くの宗教指導者が参加するなど【注81】、一般の教会のクリスチャンであっても、統一教会の教えを高く評価する人が多数存在しているのです。ゆえに、単に従来の教えと異なるからといって、統一教会の教えが間違いだとは断定できないはずです。したがって「統一原理は間違い」という高澤牧師の一方的な考えを聞かせるため、統一教会信者を拉致監禁することなど許されるはずがありません。
なお、高澤牧師は「統一原理が間違いである」と考えている点について、統一教会に問い合わせたことはないと証言しています【注82】。
(3)改宗活動への荷担者
高澤牧師は、尾島淳義および元信者の十倉と協力しながら改宗活動を行っていること【注83】、高澤牧師と尾島淳義はローテーションを組んで、毎日誰かが監禁場所を訪問するように計画していたこと【注84】、その他、高澤牧師の改宗活動によって脱会した元信者が、改宗活動に協力するため、監禁場所を訪れていることを【注85】証言しています。
(4)信者の改宗
高澤牧師は、「毎日誰かが監禁中の信者を訪問する」と証言していますが、これには監禁された信者が自分の頭でゆっくり考える時間を失わせる狙いがあります。高澤牧師の説く教義を受け入れない限り、永遠に監禁から解放されることはないという不安と恐怖心の中で、来る日も来る日も高澤牧師らから一方的な情報を繰り返し叩き込まれ、やがて信者は自分を見失うようになります。
監禁中、高澤牧師が語る統一原理批判について、統一教会側と連絡を取り、その疑問点を質問する自由が与えられていれば、信者は脱会に至らないでしょう。しかし、そのような自由は一切与えられません。その結果、信者の中には、統一原理と高澤牧師の説く教義との狭間で、混乱を来たし、統一原理が間違いであるという錯覚に陥る者も出てきます。そうして脱会した信者は、間違った教えを真理として教えられていたと錯誤し、統一教会に対する敵愾心を植え付けられて、反統一教会活動に荷担させられるようになるのです。元信者が、新たな脱会活動に協力したり、統一教会を相手に「青春を返せ裁判」などを提訴したり、マスコミに登場し、統一教会批判をするようになるのはこのためです。
(5)改宗活動の性格
高澤牧師は、1995年1月22日付「クリスチャン新聞」に、「私自身が自ら正義感が強いからとか愛があるからではなくて、一番の問題は、キリストの御名が汚されている点だ」「本当に教えそのものが、本来あるべきキリストの御名を汚されている、これが一番、私自身がこの問題に関わらせていただいている大きな原因だ」という記事を投稿しており、法廷でも、この部分を読み上げています。このことから、高澤牧師が統一教会信者を拉致監禁する動機が、統一教会とのメシヤ観の相違点にあることが分かります。
しかも、高澤牧師はこうした改宗活動を「伝道活動の一環としてやっている」と証言し【注86】、高澤牧師のもとで統一教会を脱会した元信者の6?7割がクリスチャンになると証言しています【注87】。拉致監禁を手段とした方法が、正当な「伝道」であろうはずはありません。自身と異なる信仰を持つ者に、自分と同じ信仰を持たせるというのは、「伝道」というよりも「改宗」です。
また、高澤牧師は、監禁中の統一教会信者に対し「棄教を迫ることはない」と言っていますが【注88】、信者が脱会するまで監禁から解放しないこと【注89】、信者が脱会を申し出ても、それが偽装脱会かどうか慎重に確認し、脱会していると判断しない限り解放しないことから【注90】、明らかに棄教を強要しています。
以上のことから、高澤牧師等の行為は、自身と異なる信仰を持つ者を改宗させるため、信者を監禁し、棄教を強要している「強制改宗」に他なりません。
■引用調書の出典について
高澤牧師の調書の引用に際して、冒頭に記されているA〜Dのアルファベットは、以下の尋問調書を指します。
A 平成八年一月二十三日付の第一回尋問調書
B 平成八年三月二十六日付の第二回尋問調書
C 平成八年五月二十一日付の第三回尋問調書
D 平成八年七月九日付の第四回尋問調書
なお、第一回、第二回尋問は主尋問であり、第三回、第四回尋問は反対尋問です。
- 【注73】D-14頁11行〜25頁12行
- 【注74】D-18頁1行〜19頁1行
- 【注75】D-16頁10行〜17頁
- 【注76】D-19頁2〜20頁1行
- 【注77】B34頁10行〜35頁2行
- 【注78】D-6頁2行〜7頁4行
- 【注79】D-7頁4行
- 【注80】C-58頁12行〜59頁6行
- 【注81】C-60頁4〜8行
- 【注82】C-58頁3〜6行
- 【注83】D-42頁5行〜43頁7行
- 【注84】B-54頁8〜12行
- 【注85】A-47頁2〜4行
- 【注86】A-24頁9〜10行
- 【注87】A-21頁3〜5行
- 【注88】D-4頁2〜6行
- 【注89】C-31頁3〜7行
- 【注90】C-31頁3〜7行
3 反対派の悪辣な手口
|