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冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口
2 反対派の手口
4.拉致監禁の実行
(1)拉致
高澤牧師は、信者の家族が信者を監禁場所に連れてくることを「連行」と表現し【注47】、監禁された信者はまず逃げようとすると証言しており【注48】、信者本人の意思に反して監禁場所に連行していることを認めています【注49】。また、大半の親が、子である信者を拘束する際、嘘をついて実行していることを認めています【注50】。
高澤牧師は主尋問で、監禁場所に信者を連行するのは、信者の両親・家族であると答えました。ところが、反対尋問では、信者を拘束する際、高澤牧師が家族たちと何回か一緒に行ったことを認め【注51】、具体的に2件の事例に対し、その理由を説明しています【注52】。
1件目は、娘二人が統一教会信者で、親がそれぞれの娘に対し3回ずつ、計6回拉致に失敗していたため、高澤牧師が拉致を行っています。
2件目は、妊娠3か月の妊婦を拘束した事例です。流産したらいけないので高澤牧師が出向いていったといいます。しかし、妊娠3か月は未だ安定期に至っておらず、流産の危険が極めて高い時期です。高澤牧師は拉致された信者がパニック状態に陥り【注53】、逃げようとすること【注54】を十分承知しており、本来なら、親族が拉致監禁に及ぼうとしても、むしろそれを止めに入るべきです。にもかかわらず、単に「居場所が分かったから」という理由で拉致に及んだのは【注55】、母体に対する配慮を全く欠いた行為であると言わざるを得ません。
(2)監禁
高澤牧師は、統一教会信者を監禁し、窓に工作して鍵をかけるなど、信者の脱出を防ぐための処置を施していた事実を認めています【注56】。また、反対尋問では、高澤牧師が信者の親に対し「監視が甘過ぎる」「ドアの鍵を厳重にして欲しい」と言った事実を認めています【注57】。その理由は、親は子供と仲良くなると気持ちが緩んで子供に逃げられる可能性があるからだと証言しています。要するに、親が監禁中の子を解放するのは、高澤牧師にとってあってはならないことなのです。高澤牧師は、その理由として「話し合いができないままで終わってしまいますから」と述べ【注58】、監禁された子が泣くため、親が情愛から子を解放した事例を挙げています【注59】。
高澤牧師は父兄に対し、監禁した後、自分と連絡を密にするよう指導しています【注60】。その理由は、高澤牧師が監禁場所に居る時間が短いため、信者の様子を家族から聞き出すための打ち合わせが必要だからだといいます。さらに、一般の企業体が使っているような意味での「報告・連絡・相談」をするよう親を指導していることを認めています【注61】。これらの証言から、高澤牧師が親を操って信者を監禁させている実態がよく分かります。
(3)監禁期間
信者を脱会させるまでに要する期間について、第一回尋問で、以前は長くても約1週間だったが、最近は長くかかることが当然となり、6?7か月のケースもあると述べています【注62】。ところが、第二回尋問では、脱会までに1年近くかかる事例があることを認めています【注63】。
(4)監禁の理由
高澤牧師は、一定の場所に拘束する以外に脱会させる方法はないという理由から監禁しているとし【注 64】、脱会するまで解放してはいけないと述べていることから【注65】、拉致監禁する理由が、信者を脱会させることにあるのは明白です。さらに、高澤牧師は監禁の理由として、統一教会側の人による奪回防止と、信者自身が自分自身の内面を見つめ、何が真理かを考える時間を持たせるためだと証言しています【注66】。
しかし、監禁して人権蹂躙しているからこそ、統一教会側が奪回(救出)しに来る可能性が生じるのであって、監禁しなければ奪回それ自体があり得ません。ゆえに奪回防止というのは監禁理由にはなりません。また、何が真理かを考える時間を持つためと言いますが、何か月間も監禁され、改宗説得者が毎日のように対話を強要しに来る環境で、真理の探究などできるはずもないのです。一方的な情報を信者に真理と思い込ませるために監禁していることは明らかです。
(5)岡本圭二君マンション墜落事件
岡本圭二君マンション墜落事件というのは、1994年2月、信者である岡本圭二君が監禁場所のマンション6階から脱出しようとしたところ、家族が駆けつけ、中に引き戻そうとしてもみ合っている最中、岡本君が転落し、瀕死の重傷を負った事故のことです【注 67】。高澤牧師の証言では、岡本君は脳や肺を損傷し、医師の目から見て助からないほどの重傷であったといいます【注68】。高澤牧師は、岡本君が改宗説得を受けることを嫌がっていたこと、玄関から出られない監禁状態にあったことを認めています【注69】。なお、高澤牧師は、事故後、記憶を喪失した被害者の岡本君が、親子3人で洗礼を受けたことを美談のごとく証言していますが【注70】、生命の危険を冒してまでも監禁から脱出しようとした被害者が、加害者から洗礼を受けることは通常あり得ません。岡本君は統一教会の信仰を棄てたわけでもないのに、記憶喪失の中で統一教会に反対する側の教会の洗礼を受けたというのは、「美談」とは無縁の悲劇と言えるでしょう。
高澤牧師は、岡本君の事故以前も他の牧師が統一教会信者を拘束し説得していた最中、信者が脱出しようとマンションから飛び降りる事故があったと証言しています【注71】。しかし、高澤牧師は岡本君の事故後も、相変わらず拉致監禁をやめていません。高澤牧師には拉致監禁のためには、統一教会信者の生命を危険にさらしても一向にかまわないという認識があるものと言えるでしょう。
なお高澤牧師は、こうした事故を防ぐために窓から逃げないような準備をしていたと言いますが【注72】、事故を防ぐには違法な監禁をやめればいいのであって、逆に監禁を強化したと弁明するのは本末転倒です。
■引用調書の出典について
高澤牧師の調書の引用に際して、冒頭に記されているA〜Dのアルファベットは、以下の尋問調書を指します。
A 平成八年一月二十三日付の第一回尋問調書
B 平成八年三月二十六日付の第二回尋問調書
C 平成八年五月二十一日付の第三回尋問調書
D 平成八年七月九日付の第四回尋問調書
なお、第一回、第二回尋問は主尋問であり、第三回、第四回尋問は反対尋問です。
- 【注42】D-40頁4〜10行
- 【注43】C-74頁10行〜75頁4行
- 【注44】D-42頁1〜4行
- 【注45】D-48頁4〜9行
- 【注46】C-72頁2〜8行
- 【注47】A-50頁4行
- 【注48】C-35頁3〜4行
- 【注49】C-46頁11行〜47頁9行
- 【注50】C-48頁8行〜49頁5行
- 【注51】D-35頁10〜12行
- 【注52】D-35頁13行〜38頁1行
- 【注53】C-47頁10行〜12行
- 【注54】C-35頁3〜4行
- 【注55】D-37頁9〜10行
- 【注56】A-52頁13行〜53頁7行
- 【注57】D-38頁12行〜39頁7行
- 【注58】C-29頁5〜7行
- 【注59】C-29頁10行〜30頁5行
- 【注60】C-75頁13行〜76頁8行
- 【注61】C-76頁9行〜77頁8行
- 【注62】A-61頁7行〜13行
- 【注63】B-54頁4〜7行
- 【注64】D-28頁12行〜29頁2行
- 【注65】C-31頁3〜7行
- 【注66】B-52頁10行〜53頁6行
- 【注67】C-50頁10行〜51頁7行
- 【注68】A-38頁7〜13行
- 【注69】C-51頁8〜13行
- 【注70】A-40頁〜42頁
- 【注71】A-53頁12行〜54頁3行
- 【注72】A-54頁4〜6行
3 反対派の悪辣な手口
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