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強制改宗をくつがえす統一神学

人間を神扱いしイエスを人間扱いする傲慢で冒涜的なキリスト論だという批判

 『原理講論』のキリスト論は、創造目的を完成した人間は、神と完全一体化して神性を帯び神のような価値を持つと説く一方で (252頁)、イエスは神ご自身ではなく、正にこのような創造目的を完成した人間であられると主張する (256-257頁)。これは、創造目的を完成した人間の価値を神やイエスの価値と同等の立場に引き上げるだけであって、イエスの価値を決して少しも下げるものではない (257頁)。しかしこれに対して、福音派を初めとする既成のキリスト教は、人間が神やイエスのようになれるとして人間を神扱いすること自体が傲慢であり罪であるとし、更にまた、イエスは人間ではなく人間の姿をした神ご自身なのだから、イエスを人間扱いする統一原理はイエスを冒涜する罪を犯している、と批判する。

 先ず、人間を神扱いすること自体が傲慢であり罪であるという批判に応えれば、ギリシャ語圏の東方キリスト教会では初めから、人間の救いの目的は、神のようになって神性を帯びる「神化」(theosis) にあると考えられていたことを知って欲しい。エイレナイオス (Irenaeus)、ヒッポリュトス (Hippolytus)、アタナシウス (Athanasius)、ニュッサのグレゴリオス (Gregorius Nyssenus)、ナジアンゾスのグレゴリオス (Gregorius Nazianzenus) などのそうそうたる教父たちが、イエス降臨による人間の救いに関して「神が人となったのは、人が神となるためであった」という意見であった。人が神そのものになるというのではなく、神のようになるということである。そして、西方教会のアウグスティヌスまでもこれに同意していたといわれる。だから、統一原理が、人間が完成して神性を帯び神のような価値を持つという時、キリスト教の初期の教父たちの考えと軌を一にしているのであり、決して傲慢な見解ではない。聖書も、我々が「神の性質にあずかる者となる」と述べているではないか (2ペテロ1:4) 。

 次に、統一原理がイエスを人間扱いし冒涜している、という批判に応えよう。逆に、このような批判をする福音派を初めとする既成のキリスト教こそ問題であることを知るべきである。既成のキリスト論は、イエスは人間ではなく人間の姿をした神ご自身であるというが、それは、聖書から忠実に引き出されたものではなく、325年のニケア公会議に集まった指導者たちの思索よって勝手に作られたものに過ぎないのである。確かに聖書には、イエスが神性を帯びた方であることを示す聖句は多くあるが、それは、イエスが神ご自身であるという証拠には決してならない。イエスも自分が神ご自身であるとは決していわれなかった。しかしニケア公会議は、イエスの神性を否定したアリウス (Arius) を異端として退ける目的のために、イエスは父なる神と「同質」なる (homoousios) 神の子として、神によって創造されたのではなく、「真の神」から出た「真の神」であると決定してしまった。

 勿論、451年のカルケドン公会議においては、当時のキリスト教指導者たちは、イエスは「真の神」 (vere Deus) だけでなく「真の人間」 (vere homo) でもあるということは認めた。しかし、その後が問題であった。イエスは飽くまでもお一人の方でしかあられないので、イエスの位格に関して、結局は真の神と真の人間のどちらかを選なければならなかった。結局は当然、真の神の方を選び、イエスの人間としての人性 (人間性) を中途半端な「位格を持たない性質」(physis anhypostatos) として見下し、イエスが真の人間であることをすこぶる軽視してしまったのである。このような歴史的経緯で、イエスは人間ではなく人間の姿をした神ご自身であるという見解が定着したのである。後世の学者たちは、これを「上からのキリスト論」と呼んだ。神と同一視されたイエスが、上から下の人間の次元に下って中途半端な人性を帯びる、というキリスト論だからである。

 この伝統的な「上からのキリスト論」は、明らかに、イエスが「真の人間」でもあるというカルケドン公会議の決定に反している。それはまた、イエスを実に人間らしく描く聖書にも反している。聖書を見ると、イエスが我々人間と同じように空腹にもなり (マタイ伝4:2)、喉も渇き (ヨハネ伝19:28)、喜怒哀楽をも持つ 真の人間であられ、十字架の受難による痛みを通過されたことが分かる。

 統一原理のキリスト論は「上からのキリスト論」ではない。統一原理は、カルケドン公会議が元々いいたかったこと、即ち、イエスが「真の神」であるだけでなく「真の人間」であるということを、上手に説明できる独自の方法を持つ。先ず、イエスが創造目的を完成した人間として、真の人間であられることは明白だ。次に、イエスは創造目的を完成した人間として神ご自身ではないが、神と完全一体化しているので、神性を完全に受け継ぎ、神のような価値を持っているという意味で、真の神の立場であられる。だから統一原理のキリスト論は、イエスの神性を否定した人間的なアリウスのキリスト論でもない。

 実は、宗教改革を行ったルターも統一原理のように、伝統的な「上からのキリスト論」や異端のアリウスのキリスト論とは無関係であった。ルターは、純粋に聖書的な見地から、イエスは上述の「位格を持たない性質」として見下された人性しか持たない生半可な人間などではなく、地上の史的イエスとして具体的な位格を持った真の人間として、真の神と一体化していると直観して、それまでとは違ったキリスト論を提示した。ただ、ルターは、真の人間と真の神の完全一体化について述べても、それが如何にしてできるのかをよく説明したわけではなかった。

 統一原理によれば、神人一体化は、神の二性性相が人間の中に実体対象化して、人間が神の二性性相に完全に似るようになった時に実現する。詳細は省くが、この二性性相が神の内部 (本性相と本形状の二性性相) だけでなく人間の内部 (心と体の二性性相) においても授受作用によって完全一体化するようになった時に、神と人間の縦的関係においても両者が完全一体化する。統一原理のいう神の二性性相の概念に似たような考えは、ルターの神学の時から少しずつ出現し始め、その伝統を受け継いだ20世紀のバルトやモルトマンの神学にも見られ、そして、アメリカのプロセス神学などにはっきりと現れて来た。これらの神学は、その二性性相によって神と被造世界の緊密な関係を説明しようとした。従って、イエスが創造目的を完成した人間として神と完全一体化している存在であられる、と主張する統一原理のキリスト論が世界に認められる神学的下地は着々と準備されている。

 最後に、統一原理から見た神の人間創造目的について一言。『原理講論』によれば、神の二性性相が人間の中に実体対象化して、人間が神の二性性相に完全に似るようになれば、神がその人間から来る刺激によって、ご自分の二性性相を相対的に感じて喜ぶことができるようになるが、創造目的とは、正にこの喜びを神も人間も体験することなのである (65-66頁)。だから、創造目的である喜びの体験が起こるためには、創造目的を完成した人間は、確かに神の喜びの対象として完全に神性を帯びてはいるが、神そのものではなく神とは異なる対象物でなければならない。もし万が一、イエスが神ご自身であったならば、神がイエスをご覧になって喜ばれることは不可能なのである。

 筆者は、洋の東西を問わず、今まで出版された組織神学の本を無数に読んだが、どの本も創造目的に関してはスペースを少ししか割かず、ひどいのになるとスペースが全然無く、しかも創造目的の説明が曖昧で自信がないものばかりであった。正直いって、絶対なる神が何の目的で被造物を創造しなければならなかったのかは分からない、と告白する組織神学の本が実に多かった。神の創造目的を知らない福音派を初めとする既成のキリスト教は、イエスがどのような方であられるのかについて論ずるキリスト論なるものを構築する資格はない。神がイエスの一挙手一投足をご覧になって喜ぼうとされたこと、また、イエスが周りから反対された光景をご覧になって神が心を痛められたことなどを知るべきなのに、残念ながら、既成のキリスト論は、全然それを知ることができないでいるのである。

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目次

冊子・ビラ・書籍
我らの不快な隣人
人さらいからの脱出
日本収容所列島
踏みにじられた信教の自由
「原理講論」に対する補足説明
冊子「拉致監禁」シリーズ1
痛哭と絶望を超えて
冊子「拉致監禁」シリーズ2
その時警察はどう動いたか
冊子「拉致監禁」シリーズ3
反対派の悪辣な手口
強制改宗をくつがえす統一神学
序言
聖書の権威を否定しているという批判
理性によって神を知るのは傲慢だという批判
神の悲しみの教説は神の完全性に反するという批判
霊界の存在を信じるのはオカルト的だという批判
アダムとエバの堕落の性的解釈は間違っているという批判
神の絶対予定を否定しているという批判
カルヴァン主義の五特質 (TULIP) に反しているという批判
人間を神扱いしイエスを人間扱いする傲慢で冒涜的なキリスト論だという批判
自力信仰であるという批判
十字架贖罪を否定しているという批判
真のご家庭に対する批判
社会問題を引き起こす悪なる団体だという批判
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