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強制改宗をくつがえす統一神学
十字架贖罪を否定しているという批判
統一原理は、イエスの十字架上の死は神が予定されたものではなく、イスラエル選民の不信仰の結果生じたものであり、本来イエスは地上に生き長らえて神主権の天国を造成されるはずであった、と教える。そして十字架によってもたらされたのは霊的救いのみであったと説く。これに対して、福音派を初めとする既成のキリスト教は、イエスの十字架は神の予定であり、それによる贖罪は絶対的なものであるので、統一教会は十字架贖罪の絶対性を否定する大きな間違いを犯している、と批判する。
しかし、20世紀には実に多くの神学者が、統一教会と同じように、イエスの十字架上の死について反省しながら、それが決して神の予定ではなく、不幸な出来事であったと主張し始めるようになったので、それについて簡単に紹介してみたい。先ず、ドイツのカトリック神学者ロマーノ・グァルディニ (Romano Guardini) は、イエスが十字架の死に追いやられた結果、神の国は到来せず、アダムの罪は消えず、人間は「第二の堕落」を経験することになったと主張した。ドイツの新約聖書学者ヴィリ・マルクセン (Willi Marxsen) は、イエスご自身が、十字架で死なずに生き長らえて地上天国を実現しようとされたと説いた。スイスのカトリック神学者ハンス・キュング (Hans K?ng) は、イエスに敵対する強力な勢力ゆえにイエスは十字架で殺され、その結果、神の国の速やかな到来はなかったと述べた。アメリカのメノナイト派の神学者デニー・ウィーヴァー (J. Denny Weaver) は2001年に出版した『非暴力的贖罪』(The Nonviolent Atonement) の中で、イエス降臨の本来の目的は十字架で死ぬことではなく、地上でサタン主権を神主権に変える戦いをするためであったと説いた。アメリカの元カトリック司祭ジェームス・キャロル (James Carroll) は2002年に出版した『コンスタンティヌスの刀』(Constantine’s Sword) の中で、人間の救いは十字架によるのではなく、イエスの生涯全体によるのであり、十字架がキリスト教のシンボルとして使用されたのはコンスタンティヌス大帝 (Constantinus) からのことであり、それ以前は魚がシンボルであったと説明し、更には、十字架を強調すると、残念ながらキリスト教徒はユダヤ教徒を必要以上に排斥するようになると論じた。
このような十字架に対する新しい考えは、多かれ少なかれ、聖書批評学の影響もあって出て来たと考えられるが、1960年代以降は、聖書批評学とは無関係に、十字架に否定的な見解が独自に、黒人解放神学や女性解放神学などから出現してきた。それによると、十字架は、黒人や女性や弱い者たちを力で屈従させるために使う抑圧の道具のようになってしまい、人間の救いや解放には役立たない、というのである。十字架の屈従の道はイエスが行かれたのだから、お前たちも当然その道を行けという論法で、教会の権力者は自分たちが行くべき屈従の道をそっちのけにして、弱者をやたらと抑圧して来るというのである。そして、愛の神がその独り子を十字架で殺すような、いわゆる児童虐待によって人間の贖罪をされるなどとは考えられない、と主張する。
福音派としては、このように20世紀に出現した新しい見解は全部リベラル派から来たものであろうから取るに足らない、というかも知れない。しかし、キリスト教の歴史を見ると、十字架贖罪が神の予定された絶対的なものであるという見解は、決して当初からあったものではなく、11世紀のカトリック神学者アンセルムスが確立した「充足説」の贖罪論から始まったものに過ぎないということが分かる。この「充足説」は、16世紀にはプロテスタントの中にも「刑罰代償説」という新しい名前で浸透し、キリスト教の主流となってしまい現在に至っている。
ここで我々が注目すべきは、「充足説」出現の11世紀以前は、十字架をさほど強調しない「古典説」の立場が教会の主流であったことである。この「古典説」は残念ながら11世紀以降は忘れ去られ、16世紀のルターによって一時的に再発見されたが、またすぐに忘れ去られ、再び注目をあびるようになるのは、1931年にスウェーデンのルター派教会の神学者グスターフ・アウレン (Gustaf Aul?n) が、その名著『勝利者キリスト』(原題 Christus Victor、日本語訳、教文館1982年出版) を出版し、「古典説」の正当性を世に問いかけた時からである。現在では多くの信仰者が再び「古典説」を支持するようになって来て、十字架の意味についての新しい問いかけがなされている。それゆえ、福音派が「充足説」や「刑罰代償説」のみに則り、イエスの十字架を神の絶対予定であるかの如く振りかざす時代は長くは続かないであろう。 カトリックの「充足説」とプロテスタントの「刑罰代償説」は、堕落によって生じた神の怒りを宥め神を満足させるためには、イエスが堕落人間の代理として死ぬしかないと断じて、イエスの十字架は神の絶対予定であったとする。それに対して、「古典説」は、イエスの贖罪の本当の目的は、決して初めから死ぬことではなく、地上に生きて、この世の君であるサタンの主権を滅ぼして人類を解放することであり、イエスの生涯中に経験された三大試練や山上の垂訓などを含む全ての出来事は、そのような意味での贖罪のためであったと主張する。確かにイエスは最終的には十字架で死なれたが、その死はイエスの生涯中に沢山ある出来事の中の一つに過ぎないのであり、決して神から絶対的に予定された最も重要な出来事ではなかったとする。
統一原理も「古典説」と同じように、イエスの生涯中の全ての出来事が、サタン主権を打倒して神主権の天国を造成するためにあったと見る。しかし、当時のイエスを取り巻くイスラエルの環境は余りにもサタン的であり、ユダヤ教指導者は神の本来の願いに反してサタンを中心にローマ帝国と結託して、イエスを十字架で殺害してしまったのである。統一原理によれば、このようなイエスの悲惨な死は、サタン主権を少なくとも霊的な次元で打倒し、霊的な救いをもたらしたと説く。『原理講論』によれば、「サタンがその最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ、彼等を重生させることによって 救いを受けられるようにされた」とある (423頁)。これは「古典説」の解釈と同じである。「古典説」と一つ違う点といえば、統一原理は飽くまでもこれを「霊的救いのみ」(187、425頁) と見なすので、完全な救いと贖罪をもたらすために、イエスの再臨の必要性をより強く説くことである。
このようにキリスト教全体を見れば、今まで主流の贖罪観だと思われて来た福音派を中心とした既成のキリスト教の十字架贖罪観は、初めから主流ではなかったし、また20世紀になってキリスト教の各方面から批判され始めていることが分かる。従って、統一教会をこの件で批判するのは不当である。
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