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強制改宗をくつがえす統一神学

「カルヴァン主義の五特質」(TULIP) に反しているという批判

 カルヴァン主義の流れを汲む福音派は「カルヴァン主義の五特質」なるものを以って統一原理を測り、統一原理はそれに反していると批判する。「カルヴァン主義の五特質」は、1618-1619年にオランダ改革派教会によって開催されたドルトレヒト会議で「ドルト信仰基準」として確立されたもので、カルヴァン主義の救済に関する五つの主要特質を表している。それは、「全的堕落」(Total Depravity)、「無条件的選び」(Unconditional Election)、「限定的贖罪」(Limited Atonement)、「不可抗的恩寵」(Irresistible Grace)、「聖徒の堅忍」(Perseverance of the Saints) である。英語の言葉の頭文字を取るとTULIP (チューリップ) となるが、これは英語圏での順序であり、元々の順序とは違う。

 五特質の内容を簡単に説明すると以下のようになる。「全的堕落」は、人間が堕落によって完全に腐敗していることを意味し、「無条件的選び」は、神が人間の功労などとは無関係に、無条件に特定の人間を救いに選び、特定の人間を破滅に選ぶことを意味し、「限定的贖罪」は、キリストによる贖罪が救いに選ばれた者だけに限定されることを意味し、「不可抗的恩寵」は、救いの選びに予定された者は神の恩寵を拒否することが出来ないことを意味し、「聖徒の堅忍」は、救いの選びに予定された者は最後まで堅忍し、必ず救われることを意味する。

 これを見ると、如何にカルヴァン主義が神の絶大なる主権と力を強調しているかが分かる。堕落した人間が無力であり、神の主権と力は絶大であるのは当然であるが、カルヴァン主義はそれを強調するが余りに、不幸にして、救われる人間と滅ぼされる人間を初めから決定してしまう無慈悲な神を作り上げてしまった。しかし、神の本質は全ての人を救わんとする愛ではなかろうか。だから聖書も、キリストによる贖罪が「わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである」(1ヨハネ書2:2) といって、万民への神の愛を紹介している。カルヴァン主義は、神の絶大なる主権の名の下に、神の本質を歪めてしまって、結果としては、人間側が神を主管するという主管性転倒の間違いを犯している。即ち、皮肉にも、神の主権の名の下に神の主権を無視している。このような皮肉な例はまたとあるまい。勿論、カルヴァン主義者たちは神の愛を告白する。しかし、彼らは神の力を先ず前面に出して神の愛を後回しにするので、上述のような歪められた神学が出て来る。かえって逆の順序で、先ず神の愛を前面に出して、その次に、万民に対するその神の愛を実現させるためには、神はどのようにしてご自分の主権と力を発揮されるのか、と論じた方が健全な神学が出て来るのではなかろうか。このような提案は、アルミニウス主義の伝統を相続するメソジスト教会の人たちからもよく出されるが、統一原理も賛成である。

 実は、「カルヴァン主義の五特質」が1618-1619年に確立される以前に、オランダ改革派教会内でカルヴァンの絶対予定説に疑問を持ったアルミニウスを祖とするアルミニウス主義者たちが、五項目の信条を採択した。それは、アルミニウスの死の直後の1610年であった。その五項目の信条の中には、条件的選び、限定されない贖罪、可抗的恩寵などが含まれていた。アルミニウス主義者たちとしては、カルヴァン主義が聖書とはかけ離れた神観を持っているといいたかったのである。しかし「カルヴァン主義の五特質」は、正式にそれを蹴って退けたわけである。問題なのは、その直後、アルミニウス主義の支持者であった有力な政治家オルデンバルネヴェルト (Johan van Oldenbarnevelt) が無慈悲にも死刑にさせられ、当時の200名ぐらいの全てのアルミニウス主義の牧師も異端として職を追われたことである。この無慈悲な仕打ちも、神の愛を後回しにして神の絶大なる力を誇示すればこそ可能だったのであろう。

 統一原理は、神の真の愛を強調する。全ての人間が神の愛する子女であるがために、神は、人間全てが救われるのを願われる。それを心の底から知り尽くされた文鮮明師は、神を否定した共産主義者にも神の絶大なる愛を伝えるために、1990年代の初めにソ連と北朝鮮を訪問してその首脳と会談された。師の『自叙伝』によると、師は少年時代の頃から、ご飯を食べる時、貧しくて食えない人のことを思うと「胸が痛く、喉が詰まって、スプーンを持つ手が止まってしま」ったそうである (22頁)。それが神の真の愛ではなかろうか。人類歴史を通して、真の愛の神は、たとえ人間が裏切って反逆しても、再び決意して忍耐し愛し続けて来られた。人間が最終的に神に帰って来るようにするためである。実は、神の力は、この忍耐と愛の中にこそにじみ出るのであって、誰もその力をくい止めることはできない。その意味でこそ神の力は全能である、と統一原理は見る。

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目次

冊子・ビラ・書籍
我らの不快な隣人
人さらいからの脱出
日本収容所列島
踏みにじられた信教の自由
「原理講論」に対する補足説明
冊子「拉致監禁」シリーズ1
痛哭と絶望を超えて
冊子「拉致監禁」シリーズ2
その時警察はどう動いたか
冊子「拉致監禁」シリーズ3
反対派の悪辣な手口
強制改宗をくつがえす統一神学
序言
聖書の権威を否定しているという批判
理性によって神を知るのは傲慢だという批判
神の悲しみの教説は神の完全性に反するという批判
霊界の存在を信じるのはオカルト的だという批判
アダムとエバの堕落の性的解釈は間違っているという批判
神の絶対予定を否定しているという批判
カルヴァン主義の五特質 (TULIP) に反しているという批判
人間を神扱いしイエスを人間扱いする傲慢で冒涜的なキリスト論だという批判
自力信仰であるという批判
十字架贖罪を否定しているという批判
真のご家庭に対する批判
社会問題を引き起こす悪なる団体だという批判
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