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冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか
5 監禁を二度も黙認した警察
宮腰美千代
強制改宗で信者獲得ねらう牧師
87年に私が統一教会に入会してから、監禁されるまでの約6年間、母は一度たりとも、私が紹介する統一教会関係の本を読まず、拒み続けていました。それなのに、母は手のひらを返すように「今まで習ってきたことをお母さん達に聞かせて、6年間どんな事を学んできたの」と執拗に迫ってきました。これは牧師の指導でそう言わされていると感じ、私はその誘いに一切対応しませんでした。この時、牧師の指示だと気づかず、両親を伝道するチャンスだと思って何でもしゃべっていたら、自分自身を窮地に追い込むことになっていたのではないかと、後から振り返って思わされました。
その夜、玄関を見に行くと、チェーンにカギが付けてあり、ドアを開けることができませんでした。敏感な母はすぐに起き、父と弟の二人も目を覚ましました。
狭い部屋で、絶えず監視の目があるため、私はまったく自由になれませんでした。先がまったく見えない中、私は「偽装脱会しかないのでは」と考えました。
私を伝道したIさんも3万双の国際合同結婚式の前に監禁され、京都の船田牧師のもとから無事に脱出してきた経歴がありました。しかし、私は「偽装脱会がすぐ見破られるのでは?」と不安に襲われ気が狂いそうになりました。やっと決意できたのは「強行脱出か、親を諦めさせるかのどちらかしかない」ということでした。
しかしその場合、監禁が長引く可能性が考えられ、自分が精神的に耐えられるかどうか、また、脱出できても果たして結婚した夫が待っていてくれているかどうか、さまざまな不安がよぎって気が休まりませんでした。
監禁後、数日すると、日本ホーリネス教団大阪栄光教会の松沢力男牧師と元信者がやって来るようになりました。七人対一人になることも多く、私は牧師に「話し合いが必要なら、自分からあんたの教会に行ってやる。統一教会の人がこんなやり方(監禁)で統一原理を学ばせたことはない。私は自分から喜んで学びに行った。統一原理を勉強するというなら、同じ数の統一教会メンバーを呼ばなければフェアーじゃない」と抗議しました。
監禁された環境の中で唯一の希望となったのは、松沢牧師が「統一教会から出している本は何でも読ませたらいい、そうしたら統一教会の間違いが分かるようになる」と言った一言でした。松沢牧師はこの時、10人連続して統一教会信者を脱会させることに成功し、それらの元信者を自分の教会信者にしていこうとしている最中でした。脱会させたことを自慢げに話す牧師でしたが、このような卑怯なやり方で信仰を棄てさせ、自分の教会信者を増やそうとしているキリスト教に失望し、怒りが込みあげて来ました。
私は、家に置いてあった統一教会出版物『御旨と世界』『御旨の道』や反対牧師対策のための書籍を、弟に持ってくるよう頼みました。そして、どの本に反対牧師の批判に対する答えが書いてあるのか、相手に分かってはいけないと思い、布団をかぶってレポート用紙に書き写しました。空いている時間はすべて勉強に費やしました。これまで、このような勉強をしてこなかったことを悔い改めながら、真剣に取り組みました。
それから40日間、朝起きると自分が何も変わっていないかどうかを自然にチェックしていました。そして、何も変わっていないのが分かると、奇跡でも起こったかのように神様に感謝しました。いつ自分がマンションにやって来る元信者と同じ気持ちになってしまうとも限らない霊的な闘いでした。絶対に私の心にサタンを侵入させてはいけないと思い、今までの信仰を振り返りながら、教会の兄弟姉妹と葛藤した内容などを悔い改めました。
2 その時警察はどう動いたか
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