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冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか
5 監禁を二度も黙認した警察
宮腰美千代
「弟が交通事故」、騙されて監禁場所へ
93年2月24日、私は両親に「7時頃帰る」と伝え、買い物に出かけました。午後8時に帰宅すると家族は食事中でした。私が食事をはじめると電話が鳴りました。
電話に出た母は、父に対し「次男が城東警察の近くで交通事故に遭って近くの病院へ運ばれたらしい」と言いました。その日の朝、私は弟が大学の用事で出かけると聞いていたので、大学近くで事故に遭ったのだろうと思いました。
父が動こうとしないのを見て、私は「早く行かなあかんやろ、御飯なんか食べている場合じゃない」とせかしました。父は「車で行った方が速い」と母に地図を持ってくるように頼み、その地図を私に渡して場所を探すよう言いました。地図を調べると、城東警察署前に東大阪病院がありました。私はこの病院に弟が入院したものと思いました。
父が運転し、母は助手席に乗って、後ろの座席に長男と私が乗りました。病院への道は複雑で分かりにくく、母が「そこを右、左」と指示する姿に「よく知っているな」と不思議に思いました。母親が下を向いて神経の昂ぶりを押さえている様子を見せたとき、父が「大丈夫だから心配するな」と慰め、道路の看板を見ているように言いました。後で分かったのですが、このとき母が落ち着かない様子だったのは、拉致監禁計画がうまくいくかどうかを心配していたのです。
大阪市城東区の東大阪病院の看板が見えると車は右折し、何処に止めようかと場所を捜すふりをしてから、あるマンションの前に停車しました。
私が車を降りて病院の方へ急ごうとすると、父が私の前に廻り込み、マンションに向かって押すのです。体格の良い長男も私の手をつかみ、父と一緒になって背中を押し、気づくと母もその後ろにいました。
私が「ここは病院じゃないでしょ?」と言うと、父が「ここなんだ」と激しく言いました。その言葉に、一瞬「病院の裏口か?」と勘違いしましたが、マンション2階まですごい勢いで押されたことからやっと監禁と気づき、2階から3階まで必死に手摺につかまりました。手をふりほどかれた私は、2階や3階のドアを叩き、家のチャイムを鳴らして助けを求めましたが、口を押さえられ、靴を履いたまま4階の部屋に押し込まれました。私は家族からこのようにされたことでショックを受けました。そして、部屋の中に交通事故に遭ったはずの弟がいるのを見て、「騙された、くやしい」という思いが込み上げました。
2 その時警察はどう動いたか
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