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冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか
5 監禁を二度も黙認した警察
宮腰美千代
牧師指導の下、監禁マンションを準備
私は、93年2月24日から6月6日までの103日間、大阪市城東区のマンションの4階に監禁されました。そこはワンルームマンションで、四畳半ほどの部屋と、仕切った隣に台所とバス・トイレが付いていました。玄関は普通の内鍵でしたが、ドアのチェーンを短くし、そこに南京錠を取り付け、簡単には開かないように細工してありました。もう一つ、数字を合わせて開けるカギも取り付けてありましたが、母が老眼で開けるのに苦労することが多く、そのカギは徐々に使わなくなりました。ベランダのガラス戸も開かないようサッシの下の方にカギが取り付けてありました。トイレのカギはかからないようにしてあり、父が「わざと壊して籠城できないようにした」と説明しました。
包丁などの刃物は特に厳重に何処かに隠してあり、「カミソリを買ってきて」と私が頼んでも「ダメだ」と言われました。枕は大阪栄光教会から借りたと、母が言いました。部屋には電話もテレビもラジオもありません。松沢牧師が来たとき、父が「テレビを持ち込んだらいけないでしょうか」と尋ねると、牧師は「ない方がいい」と指示しました。
私は監禁されたとき、職場が気になりました。連絡もせずに休むのは社会常識としてあり得ないからです。また、突然いなくなった私の代わりに誰が仕事を引き受けるのかが心配でした。父に「明日仕事があるのにどうするのか」と言うと、父は「今朝、おまえの会社に電話をかけ、しばらく病気で休むと言っておいた」と答えました。私は勝手なことをする家族に対し怒りがわきました。
私は以前、監禁から脱出してきた人の話を直接聞いたこともあり、今回の監禁は短期間では終わらないだろうと覚悟せざるを得ませんでした。
2 その時警察はどう動いたか
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