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冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて
4.残された心の傷 塩谷知子
〈残された心の傷〉
私が逃げてからは、両親とは、ほとんど手紙だけのやりとりで3年間会うことは、ありませんでした。
逃げて来たときは、統一教会の活動には戻らず、私を助けてくださったご家庭にお世話になりながら、少しずつ心が癒されていく日々を過ごしました。
そして、私と主人は、そんな中で家庭を出発できたことを神様に感謝しました。
純粋だった主人は、私が拉致されて以来、とても人間不信に陥り、人と会うことを嫌うようになりました。
主人の両親は、私たちの結婚を喜び、結婚式も考えてくださっていたそうです。しかし、私の両親が拉致の話を主人の両親にも持ちかけていたために、それも実現することなく、隠れるように2人の生活がはじまったのです。
主人は、私の両親をとても恨みました。この拉致監禁によって、どれほど心を踏みにじられたことかわかりません。
私が少しでも両親の話をすれば、急に主人の顔の形相が変わって、イライラし始め、どこにも持って行き場の無い思いを私にぶつけてきました。夜は熟睡できず、毎晩うなされ、そしてとうとう主人は、自分にはどうすることもできない恨みと悲しみをかかえて、鬱(うつ)病になってしまったのです。?働くこともできず、働いてもすぐにやめてしまう。そんな自分を責め続け、苦しんだのです。
6年間、あり地獄に入ったような日々が続きました。
そして、とうとう2006年の夏、私も、鬱(うつ)病になってしまったのです。
主人は、今でも拉致のときの話をすると、怒りがこみ上げてきて、形相が変わります。過去がフラッシュバックしてよみがえり、解けない恨みが湧いてくるのです。
拉致監禁を直接されなかったとしても、このように、周りの家族も苦しみ、深く傷を負います。そして15年以上を経た今でも、まだその傷は癒えていないのです。
私は長い間十分に主人の痛みを理解することができず、私を責める主人を、私も責め続けました。しかし、自分が鬱病になり、その苦しみと、拉致されたときの苦しみが重なって、主人の気持ちをもう一度考えさせられました。
もちろんわたしが彼を怒らせたことも何度もあります。しかし、主人は私に対して「あなたに対する怒りは、自分の腹の底にあるあなたの親に侮辱された恨みが、それをさらに大きくさせる」と言いました。
それを聞いたとき、私と親だけの問題ではない深刻さを感じ、まだまだ我が家庭は、この拉致監禁問題について解決していないことを改めて実感したのです。
私も自分の無力さに落ち込み、生きている値打ちも無いもののような気持ちになるときがあります。ただ自分が探し求めているものを求め続け、近くの家庭教会につながって、今はひっそりと信仰を持っています。
3人の子供たちに恵まれて、子供だけは神様中心に育てたいと夫婦で願っています。
反対牧師たちは、統一教会の信仰を完全に失くしてしまうまでは、自由を奪います。親の子供を思う気持ちを利用し、「保護説得」という美しい言葉を使いますが、それは完全に拉致監禁であり、本人の自由意志を全く無視して、「気が狂った者」のように扱い、最も信頼したい親から子供は拉致監禁されるのですから、本当に心に負う傷は深いのです。
信教の自由を奪い、親子関係に傷をつけて、それを修復していくことに、どれほど時間と、気力がいることかわかりません。このような行為は、人格を破壊し、精神も身体も脅かす許されない行為であると実感しました。
そして、私の主人のように直接拉致されなかったとしても、身近な人がその問題で大きな衝撃的なショックを受けることで、精神的疾患を生み出しているのです。
独善的な「正義感」をもち、罪悪感もなしに拉致監禁をし続ける反対牧師たちがいることは、絶対に許し難いことです。
私の体験は、氷山の一角で、もっともっとたいへんな方々がいることと思います。
これからも、この拉致監禁問題の解決のために声を上げていきたいと思います。
1 痛哭と絶望を超えて
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