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冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて
4.残された心の傷 塩谷知子
〈偽装脱会〉
監禁から解放されるために、「今日こそ、統一教会をやめると言おう」「今日こそは……」と、毎日そう思いながら、なかなか言い出す勇気がでてきませんでした。
「本当に偽装脱会ができるだろうか……。また、言ったとしても、私がその後、統一教会に戻ったら、親は悲しんでしまうだろう……」。そう思うとなかなか決意ができませんでした。
ちょうど40日が経った朝方、夢をみました。真のお母様が真っ赤なチマチョゴリを着て大きなおなかをされ、しんどそうに座っておられました。そして、その隣に真のお父様がおられ、「今回は難産なんだ」とおっしゃったのです。
私が監禁された当時は、1600名の修練会が始まったときで、日本は世界を生かすエバ国家としての重要な使命の真っ只中にいるときでした。私も決意し、乗り越えなければならないと思わされたのです。
その日の夜、元信者の姉妹が訪ねてきて、「今どんな気持ちですか?」と私に尋ねてきました。「今、言わなければならない……」。私は必死の思いで、ようやく「統一教会の信仰というものから離れたい」と言ったのです。
しかし、「脱会宣言すれば、次はどうなっていくんだろう……」心の中は不安でいっぱいでした。自分の本当の気持ちを誰にも打ち明けることはできず、心が不安定になっている私に対し、船田牧師は、真のお父様を中傷した反対派のさまざまな批判書を持ってくるようになりました。
私の心は揺れ動き、どれほど神様に祈ったかわかりません。神様の願う真実な道を歩みたいと願う中で、神様はなぜ、こんなにまで、家族や私を苦しめるのか、とも考えました。
そして、寝ながら布団のなかで、「神様あなたの前に真実に生きた方はどなたですか?あなたのために、もっとも涙を流された方はどなたですか?」と、私は、まるで神様を試すようにして、真剣に尋ねました。
すると、その夜、再び夢をみました。それは、真のお父様の背中を私が流している夢でした。その背中は拷問を受け、傷だらけになっている背中でした。
迫害の中でお父様がどんな屈辱と痛みを越えてこられたのだろうか……。お父様は地獄の底にいらっしゃったのだ……。マンションの中は、たった一人の孤独な戦いでしたが、信仰の幼い私に対して、神様は勇気と知恵を与え、夢を通して守ってくださったのです。
「根気強く、忍耐してがんばるんだよ」とお父様がいつも励ましてくださっているように思えました。そして、たくさんの兄弟姉妹が夢に現れて、私のために祈ってくれていることを実感し、とても感謝しました。
私ひとりの力では、とっくに倒れて、いろいろ考える気力さえも失い、今頃はどうなっていただろうかと思います。
私が祝福を受けていること、そして、自分の気持ちをほとんど口に出して言わないことなどから、船田牧師たちは、とても私を警戒している様子でした。
両親は、監禁生活2ヶ月を過ぎると、イライラし始め、母は「もう帰りたい」と何度も泣いたりしていました。その姿を見て、父が「何を泣いてるんや!この問題で今も泣いている親がいっぱいいるんや!」と母に強く言いきかせました。すると母は、「わかってる! 知子が統一教会の間違いがわかるまで、死んでもここを出ない」と決意し直すのでした。
そのような両親の姿を見たとき、牧師から一方的な情報を刷り込まれ、精神的苦痛を負いながらも、「娘のために!」と思って、何も分からずに懸命に行動している姿があまりにもかわいそうに思え、それと同時に、牧師に対する怒りを抑えることができませんでした。
マンションの中は地獄でした。そのころ、私は心身共に限界状態に達していました。親子なのに両親を、姉妹なのに妹を、全く信じることができず、本音で話ができないという、いつも緊張した状態の中にあって、気がどうにかなってしまいそうでした。
ついに私は、吐き気や頭痛、指先にしびれが出てきて、心身共に傷つき果ててしまいました。外の空気を全く吸うこともできず、食欲も、体力もなくなり、監禁前に46kgあった体重は40kgにまで落ち、急激に痩せてしまいました。14年たった今も、体重がもとに戻りません。
母から、「(京都聖徒)教会の人が、知子さんは何を考えているかよく分からないと言っているから、自分の気持ちをはっきり言いなさい」と要求されましたが、もし自分の気持ちを正直に話せば、永遠に続くであろう「監禁生活」。そこから逃れるため、私は統一教会をやめたふりをする「偽装脱会」の手段を選ばざるを得ませんでした。そして、船田牧師から許可を得て、ようやく69日目にマンションを出ることができたのです。
牧師は、マンションにいる間、「統一教会は一方的な教え込みをしており、洗脳だ」と批判し、「文鮮明が『人を殺せ!』と命令すれば、平気で人を殺してしまうような恐ろしいテロ集団だ」とも言っていました。
しかし、牧師の方こそ、両親や親戚に一方的に情報を流し込み、統一教会への憎しみの思いを刷り込んで倍増させ、本心では”こんなことしたくない”と思っている両親に対して、「そうすることが子供のためであり、そうするしか方法がない」と指導し、拉致監禁という犯罪行為を行わさせているのです。子供を心配する親の心理を利用し、不安を煽るやり方は問題です。また、私の「信教の自由」という基本的人権を配慮しようとする気持ちが一切ありませんでした。
このように、私たち家族がマンションで苦しみ続けている間、実は、主人の方も大変な苦しみを受けていたのです。
主人は、私の母から「親子の話し合いをします」という1通の手紙を一方的に受け取り、それを読みました。突然、私の居場所さえも分からない状況になりました。主人(当時、婚約中)はとても苦しみ、そして、心に深い傷を負ったのです。
1 痛哭と絶望を超えて
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