統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ3 - 反対派の悪辣な手口。反対派の情報に翻弄された両親 統一教会の真実を知り、親娘が和解 10年後の拉致監禁
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冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口

4 反対派の情報に翻弄された両親
-統一教会の真実を知り、親娘が和解-

10年後の拉致監禁

83年の軟禁から10年後の1993年2月中旬、ついに明子さんは反対派が関与する中で、拉致監禁された。

明子さんは前年の92年8月、韓国・ソウルで開催された3万組の国際合同祝福結婚式に参加していた。

「祝福を受けるとき、母に報告に行くと、母は『そうか』と言ってワンピースを買ってくれました」。

母には、娘の信仰を容認する気持ちが芽生えていたのかもしれない。ところが、合同結婚式から半年過ぎたころ、海運会社を定年退職していた敏男さんや芳子さんのもとに、さまざまな人から統一教会の批判情報が寄せられた。そればかりか「教会をやめさせた方がいい」と言ってきたのである。

「当時、耳に入ってくる情報は悪いことばかりでした。テレビにしても新聞にしても、(統一教会は)人をだまして金を取っていくというような話ばかり。良いことは一つもありませんでした」と敏男さん。

敏男さん夫婦が不安をつのらせていく中、明子さんの友人Nさんが東京にある統一教会に反対する父母の会(以下「反対父母の会」)を紹介してきた。Nさんは、明子さんと一緒にピアノ教室に通っていた仲間だった。

「監禁の前に、『反対父母の会』の集会に参加するため、夫婦で東京のキリスト教会に何回か通いました。その教会は、統一教会信者を子にもつ親御さんでいっぱいでした。『拉致監禁を実行するには、親族の全面的な協力が必要』という情報は、その時に入りました」と敏男さんは語る。東京での集会や勉強会に参加しながら、拉致監禁の具体的なノウハウを学んでいった。

やがて敏男さん夫婦は、宮城県で統一教会員の脱会説得を行っていた元信者・田口民也氏(故人)を紹介された。そして、明子さんの拉致監禁の実行日が近づいてきた。

明子さんは合同結婚式に参加後、教会で献身的に活動してから半年経ったころ、腰痛に見舞われた。休みを利用してNさんの自宅近くの治療院を訪れたところ、そのことがNさんから敏男さん夫婦に伝えられた。

明子さんは93年2月中旬、二度目に治療院を訪ねたときに、待ち伏せていた両親や親族らに拉致され、仙台市内のマンションに監禁された。

「親としては、娘を何としてでも救いたいという気持ちだけでした。とにかく、娘が教会をやめるまでやるという覚悟でした」と敏男さんは語る。

マンションは、監禁専用の施設だったようだ。

田口氏らから「『ここに入ってください』と紹介されたマンションの部屋には、ドアや窓が開かないような仕掛けが付いていました」と敏男さん。

明子さんは「マンションに入れられた当初、『警察沙汰にならないように、周りの住民には説得中だと言ってある。どんなに叫んでも警察は来ない』と言われた記憶があります」と証言する。

監禁が始まって最初の1週間ほどは、元信者が次々とやって来て、明子さんを説得した。やがて元信者の田口民也氏の妻・和子さん(故人)が説得に加わった。さらにその1週間後、田口氏自身も明子さんを説得するためにマンションに来るようになり、統一教会の教理批判を繰り返した。

明子さんは、田口氏と理論戦をしても監禁が長引くだけだと考え、とにかく早く解放されるために「偽装脱会」することに決めた。夫の隆さん(仮名)が、自分が拉致されたその日に入籍してくれたことを監禁中に知り、明子さんは「早く出たい」という思いをいっそう強くした。

「私は『教会の活動に疲れていた。自分でもおかしいという思いがあったので、やめる』と話し、相手の話に同調するようにしました。すると、私が本当に脱会しているのかを調べる審査が始まりました。毎日毎日、元信者がやって来て、彼らは私の表情を見ながら『これに対してはどう思うか』などと質問するのです。私は、頭がおかしくなりそうでした」

そして、最後に監禁現場にやって来たのが、田口民也氏の娘だった。

「その人は霊的にすごく敏感なようで、『やめたかやめていないかを大体当てるのだ』と言われていました。その娘さんが最後に審査するのです。娘さんは私を見て『五分五分だ』と言い、とても警戒しているようでした」。

"審問"が続く中、明子さんに監禁から脱出するチャンスが訪れた。それは監禁から約2か月過ぎた93年3月下旬のことだった。

「父の方は私を信頼してくれていたのか、玄関のカギが開いていた日がありました。その日の夜、裸足で逃げたのです。マンションから出る時、こんなに心配している父母を残し、それでも行くのかという切ない思いがありました。清水の舞台から飛び降りるような心境でした」

翌朝、娘が逃げていなくなったことで敏男さんは、心臓発作で倒れ、救急車で運ばれた。それまでの心労に加え、娘の逃走という大きなショックが重なったことが原因と思われる。大事には至らなかったが、明子さんがこの件を聞かされたのは約2年半後の、3度目の監禁場所だった。


3 反対派の悪辣な手口
  1. まえがき
  2. 反対派の手口
  3. 手口を裏付ける田口民也氏の著書
    『統一協会 救出とリハビリテーション』より
  4. 反対派の情報に翻弄された両親
    -統一教会の真実を知り、親娘が和解-
  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

    ►書籍紹介

URLから
http://kidnapping.jp/m/
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