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冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口
4 反対派の情報に翻弄された両親
-統一教会の真実を知り、親娘が和解-
1回目の軟禁
明子さんには、両親と兄の家族がいた。大手海運会社に勤務していた父は商船に乗って世界中を回り、1年のうち10か月間は家を不在にした。年の離れた兄は早くから独立していたため、明子さんは母と娘の2人だけの暮らしが長かった。
明子さんが自宅で軟禁されたのは、1983年、大学を卒業して間もない23歳のときだった。母・高橋芳子さん(故人、仮名)は、左翼思想をもつ知人から教会の悪い噂を吹き込まれ、その知人から「娘を監禁して説得した方がいい」というアドバイスを受けたのだ。明子さんは自宅2階の一室に閉じ込められ、鍵を掛けられた。部屋にはポータブルトイレが用意してあったという。
明子さんが「統一原理」を学んだのは高校生の頃。当初から、明子さんの信仰をめぐって母娘間で言い争いがあったが、79年頃から反対が激しくなった。
情が深く"肝っ玉母さん"という感じの芳子さんは、「夫がいない間に娘がとんでもないことになった」という焦る気持ちから、軟禁という手段を選んだようだ。とにかく「娘が自分のところにさえ帰ってくればいい」という一心で踏み切ったために、夫・敏男さんには何も知らせなかった。
「軟禁時、母が私を説得しました。夜中に包丁を持って追いかけられ、交番に行ったこともあります。当時、私は教会で献身的に活動しようとしていましたが、『当面、仕事を続ける』と言ったため、解放されたのだと思います」(明子さん)
3 反対派の悪辣な手口
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