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我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇
第六章 引き裂かれた家族
"戦時下"の戸塚教会
話を先に進める。麻子のアトピーがようやく改善に向かっていた、99年の初め頃の話である。
麻子が久しぶりに顔を出すと、戸塚教会の空気は一変していた。
前述の今利理絵と智也に黒鳥牧師が訴えられていたからだ。話を聞くと、理絵たち2人は99年1月、黒鳥、清水、両親、親戚など8人を相手に、損害賠償請求の訴えを横浜地裁に起こしたという(以下、横浜裁判)。〈注二〉
これを契機に、麻子や美佐や麻子の両親と、戸塚教会との関係はがらりと変わっていく。
横浜裁判か始まってから、黒鳥の柔和な顔が引きつり、金切り声になることが多くなった。
提訴されてパニック状態になったのか、「私、理絵さんのお母さんなんて知らない!(みんなに同意を求めるように)私、そんなに、知らないわよね〜え」と口走ったり、マインド・コントロールを解くすごい先生と、麻子の両親に話していた清水のことを毒づいたりした。
「清水先生と組んだばっかりに、偽装脱会で逃げられ、その結果、私まで訴えられることになってしまった。清水先生は統一教会の影響からまだ抜けていない。どうして教団は元統一教会信者を牧師にしたのかしら」
「私は清水先生のマインド・コントロールも解かなければならないのかしら? そんなの嫌よ」
黒鳥が理絵の親のことを「そんなに知らない」となれば、デニーズでの拉致監禁を手伝った塩野は困った立場になってしまう。黒鳥とは関係なく自らの意思で理絵の拉致に関わったことになるからだ。「そりゃあないですよねえ」と、塩野が麻子の両親に愚痴をこぼしたこともあった。
麻子と両親は勉強会仲間と一緒に、何度か横浜地裁へ傍聴に通った。
その日の法廷が終わると、いつも弁護士会館や近くの公園で弁護士を中心に総括集会が開かれる。何度目かの公園での集会で、麻子は勇気を出して感想を述べた。
「統一教会には問題が多いと認識していますが、原告が裁判に訴えたのは、監禁がとても苦しかったからだと思います。私も監禁のときにはとても苦しい思いをした。原告の声に、もう少し耳を傾けてあげたらどうでしょうか」
母親も麻子と同調するような意見を述べた。
リアクションは激しかった。集会参加者の何人かが口々に叫んだ。
「おまえら、どっちの味方なんだ。統一教会を応援しているのか!」
彼らがヒステリックな反応を見せたのには事情があった。理絵の提訴から1ヶ月後の99年1月に、アンドール美津子(夫はアメリカ人)によって同じような内容で清水が提訴されたからである。〈別表参照〉
理絵と美津子の立て続けの提訴を、二人の牧師や弁護士、支援者たちは、日本基督教団ひいては反統一教会陣営に対して、統一教会が組織をあげて攻撃を仕掛けてきたものと受け取った。そして、「拉致、監禁などの方法を用いて原告が信仰する宗教の棄教の強要をしてはならない」という訴えに対し、「拉致監禁などなかった」と戦闘体制に入ったのである。
集会後、麻子は黒鳥から「何であんな発言をしたのか。お世話になったのだから、裁判を応援するのは当たり前のことではないか」と叱責された。
「拉致監禁などなかった」とする以上、監禁中は苦しかったとたびたび訴える麻子たちは、煙たい存在になっていった。
公園での集会を境に、麻子の両親のところにいつも届いていた裁判の報告書、月々の裁判支援金要請がこなくなり、懇意にしていた勉強会仲間からの電話もいつしか途絶えた。