統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。有識者の声。後藤徹氏拉致監禁告訴への不起訴処分についての意見書 京都大学名誉教授 渡辺久義
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有識者の声


後藤徹氏拉致監禁告訴への不起訴処分についての意見書
京都大学名誉教授 渡辺久義

渡辺 久義(わたなべ ひさよし)プロフィール

京都大学総合人間学部教授を経て、現在、京都大学名誉教授。[主な著書]『ヘンリー・ジェイムズの言語』(北星堂)、『イェイツ』(あぽろん社)、『意識の再編──宗教・科学・芸術の統一理論を求めて』(勁草書房)。Cady&Budd(ed.), On Henry James:The Best from “American Literature”(DukeUniversity Press, 共著)。04年9月、創造デザイン学会(http://www.dcsociety.org/)を設立し、「インテリジェントデザイン(ID)」論の紹介と普及に努めている。


後藤徹氏拉致監禁告訴への不起訴処分についての意見書

 12年5カ月におよぶ後藤徹氏拉致監禁という驚くべき事件の告訴に対し、この度、検察が不起訴処分の決定を下したと聞き私は耳を疑った。このニュースを聞く前に、私は、後藤氏自身のビデオによる経過説明や、(あのやせ細った後藤氏を撮影した)ジャーナリスト米本和広氏の口頭による説明を聞く機会があり、これは史上まれに見る悪質な拉致監禁事件で、当然起訴されるものと思った。後藤氏は、米本氏も言っていたように、拉致監禁された多数の統一教会員の中でも例外的にタフで闘志をもった人のようであり、ビデオ陳述でもあまり暗さを感じさせないが、この度、2008年4月2日に巣鴨署に提出された後藤氏の「陳述書」を読んでみて、想像した以上の極限状況に彼が置かれていたことを、あらためて知った。これでは後藤氏は、たまたま生き永らえたというだけで、死んでいても不思議でなく、ほとんど殺人未遂と言ってよいものであろう。この陳述書が作り事であるとか、歴然たる誇張があるとか判断するのでない限り、これを不起訴とする理由は全く考えられない。

 検察は本件に限らず、統一教会員の拉致監禁事件については、「取り合わない」という原則を貫いているようである。本件でも最初に「家族のことだからむつかしいですよ」と釘を刺されたという。このこと自体が不可解であり、聞く限りどこの警察署も判で押したように、「家族の問題には介入できない」と言っているのは、そのように指令されているとしか考えられないが、これは明らかにおかしい。なぜなら数限りなく発生している統一教会員拉致監禁訴訟で、家族だけというのは聞いたことがなく、必ず家族と結託しこれを指導し教唆する組織的な「反対牧師」と言われる人々がいるからである。教唆する者のいないいわゆるドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)でも、正式な訴えがあれば警察が調査するのが当然であろう。まして歴然と第三者が介入している本件のような場合、「家族問題だから」という理由で退けるのが不当なのは明らかである。

 こうした事件の扱いは、統一教会そのものについての評価とは関係がないはずである。検察あるいは国家として、統一教会に対してどのような評価あるいは思い込みがあるのかは知らない。しかし法治国家である以上、検察は告訴や被害届に対して、そのような評価を厳密に切り離して対処しなければならない。統一教会に対する一連の常套的な検察の態度を見ていると、あたかも目障りな路上生活者に対する暴行を、見て見ぬふりをする方針であるかのような印象を与える。この異常さは文化国家のものではない。

 米本氏も指摘するように、起こっていることは「信教の自由」の侵害などという問題をはるかに超えた深刻な問題である。「(統一教会からの)救出」に成功する、しないに関わらず、必ずそれは人格破壊と親子(家族)関係の破壊という悲惨な結果を招いていると彼は指摘する。問題は、物的損害でも普通にいう「精神的苦痛」でもなく、こうした体験をした人たちに残る深刻な精神的後遺症であり、その心の傷は永遠に消えないものだという。これに匹敵するものとしては、悲惨な戦争体験、大震災体験、レイプ体験などがあげられるであろう。現に「親にレイプされたような」とは、ほとんど異口同音に被害者から出てくる言葉のようである。こうした症例に対する治療法はないと言われ、また一旦壊れた家族関係が回復することもないと言われる。重度の精神障害のみならず、自殺(加害者であった親の自殺も含めて)に発展するケースが、これまでに少なからずあったことを、検察のみならず日本の国家・国民一般が知っておくべきである。

 後藤徹氏の場合は、確かに見かけは明るいようである。しかし彼が深い心の傷を負っていないはずはなく、その彼がおそらく、私的動機というより、これ以上こういうことがあってはならないというむしろ公的な動機から、勇気をふるって告訴しているのである。これを不起訴処分にして退けるとは言語道断というほかはない。おそらく彼は、陳述書の最後にもあるように、個人的な恨みというよりは、国家や社会一般に対して、こういうことが起こっている日本の現状を知って欲しいと訴えているのであり、そのためにこそ12年5カ月という悲惨な長い監禁を耐え抜いてきた、と言うこともできる。

 検察にどういう意図・思惑があるのか私は知らない。それは想像できるがここでは言わない。しかし日本は法治国家であり、これは今、米国議会や米国務省、それに「国際自由宗教連合」(ICRF、会長ダン・フェアマン氏)のような外国の諸団体からもその異常さを注目されていると聞く。やがては国連からも注目されるであろうと言われる。これは日本という国家の問題である。

 とりわけ深刻なのは、韓国の宗教者や有識者から我が国に突きつけられると予想されている要望書(ないし抗議書)である。なぜ深刻かと言えば、統一教会による国際結婚で韓国へ嫁いだ、そして韓国では模範的な主婦として表彰される人が多い日本人妻が、里帰りした際に拉致監禁され、そのまま帰らなくなったり、甚だしくは自殺する事件が起こっているからである。これは元日本人とはいえ、外国籍の女性を拉致監禁して返さないということであり、我々が憤慨してやまない北朝鮮の日本人拉致と同じことを、我々自身がやっているということである。

 もし検察をはじめ日本政府が、かりに何らかの思惑があって、この特定教団への拉致監禁・強制改宗問題を無視しようとしているのだとしたら、その意図とは裏腹に、これは我が国に大きな恥辱をもたらすことになり、国際社会での日本の評価が甚だしく失墜するであろうことは明らかである。

 日本の統一教会は現在、明らかに社会的弱者の立場におかれている。彼らはおそらく宗教的動機から、これまでこの種の被害に対してあまり声を荒げることがなかった。検察が後藤氏の告訴を不起訴処分にするということは、今後もこのような悪質きわまりない犯罪を放置するという意志表明であり、結果的にそれを奨励することにもなるであろう。のみならず、これは国際問題にも発展するおそれがある。検察および日本政府がこの事の重大さに気付かなければ、将来に大きな禍根を残すことになるであろう。

平成22年1月22日

京都大学名誉教授 渡辺 久義

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