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“拉致監禁”の連鎖 パートⅩ きよみさんの体験と目撃現場(3)
生き方として原理を学ぶ
きよみさんが大学生の時、4年間通った日本大学文理学部=東京・世田谷区桜上水
1986(昭和61)年4月に日本大学文理学部(東京・世田谷区)に入学し、西洋史を専攻したきよみさん。その年の秋、世界基督教統一神霊協会(以下、協会)の友好団体で大学生サークル組織である全国大学連合原理研究会に所属していた女性の紹介で、教義の統一原理の講義ビデオを見て勉強するようになった。
歴史、特に世界史が好きだったきよみさんは、歴史の中で似た事象や期間が繰り返す「同時性」についての講義に関心を持った。他方、歴史の担い手としてアウグスチヌスやルターらが取り上げられているが、なぜ他の人物は扱われないのかなどは疑問点として残った。それでも「自分の人生の成長の糧になればいい」という姿勢で講義をずっと聞いた。
一カ月ほど勉強を続け、入会の次のステップである7日間の修練会に参加。その時のスタッフの女性から、こんな話を聞いたのが心に残った。
「高校時代、クラブ活動のメンバーたちとランニングをしていた時、隣を走っていた女子が苦しそうなので、サポートしようと声を掛けた。その時、はたと思ったのは、自分はこの子を心配して声を掛けたのか、自分をいい人間だと納得させ、満足させるためだったのか、周りの人に良く見られようと声を掛けたのか。果たして、純粋な思いからのやりとりなどあり得るのか。まして、男女間ではどうなのか」と。
その話の内容がきよみさんの心にすっと入ってきた。
「この人は生きることに真剣で、私はこの人にかなわない。この勉強を続ければ、真摯で純粋な生き方を見出せるのではないか」。宗教と分かっていたが、入会するかどうかより、自分の生き方として学ばなければならないとの思いで、さらに勉強を続けた。
そのころ、大学へは東京・田無市(現西東京市)の自宅から通っていた(高校生の時杉並区から引っ越した)が、翌87年6月に、原理研究会メンバーが共同生活する「学舎」に入ることにした。父親には反対されることもなかった。逆に「宗教にのめりこむな、しかし、いい経験になるから頑張ってこい」と励まされた。
母親はうさん臭そうな感じで聞いていて、ひと言あった。「学舎というものがどんなところか見に行く」と。両親にきちんと説明し理解してもらって学舎で生活するようになった。
実際、間もなく母親は学舎に来て、祈祷室の中をのぞいたり、あれこれ詮索して帰っていった。きよみさんは、これで娘の思いを理解し、母なりに納得したんだろうなと思った。
しかし、今にして思えば、母親はその時、相当寂しい思いを抱いたのだろう。家族の中で唯一、母の味方で、心の支えであったきよみさんを、よく分からない宗教に持っていかれた、という思いだったと分かる。
1回目の拉致・監禁は1990(平成2)年夏に起き、91年初めまでの半年間続いた。後に母親から聞いたところでは、娘を取り戻すために、それまでの期間、小・中学校の担任の先生にまで連絡を取って相談していたようだ。
その後、母親は、信者たちの脱会活動を中心的に行っていた東京・荻窪にある日本イエス・キリスト教団・荻窪栄光教会の存在を知り、通うようになった。
母親が、きよみさんの脱会強要に当たった小岩裕一・同教会牧師や元信者らに出会ったのもその頃である。
(「宗教の自由」取材班)
-つづくー