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“拉致監禁”の連鎖(204) 「青春を返せ裁判」法廷証言から(4) 原告の一人が出した「脱会届」
原告の一人が出した「脱会届」
原告の一人が出した「脱会届」
代理人 あなたが統一教会を脱会したことについて伺いますが、どこかマンションに連れていかれたんじゃないですか。
内田 私は、旅詰(旅先で寝泊まりする所)みたいなとこでホテルというとこかな。薄野(すすきの、編注・札幌市中央区の繁華街)にあるマルスガというビジネスホテルでした。
代理人 そのビジネスホテルにずっといたんですか。
内田 はい、いました。
代理人 それは、だれが契約して借りたか分かりますか。
内田 うちの親です。
代理人 合計何日間、そこを借りたんですか。
内田 土曜日に入って土曜日に出たので八日間ですね。
代理人 フロアは何階だったんですか。
内田 二階だったと思うんですけど。
代理人 あなたは、自由に出入りはできなかったんでしょ。
内田 あ、できません。
代理人 鍵が掛けられてたの。
内田 はい。
代理人 キリスト教の牧師さんとか、パスカル(編注・脱会屋)とかいうような人が来ていましたか。
内田 私の場合はクリスチャンの信者の方が(私がホテルに)入ったその日に見えて、次の日に牧師さんが見えました。
代理人 外国人はいなかったですか。
内田 パスカルさんは、私が出るという土曜日の日に来ました。
原告の内田美子さん(仮名)は高校卒業後、札幌市の看護学院に学んでいる時に、統一教会に伝道された。前回の吉岡富子さんと同様、請求の原因として「統一協会(ママ)による洗脳教育を受けて、その組織に取り込まれていたところを平成元年七月に救出されたものである」という。平成2(1990)年に提訴した一人で、内田さんはその時、20代前半だった。上記の内容は、被告側代理人による反対尋問(平成12年3月7日)に対する証言の一部だ。
◇
内田さんと同じように平成2年に提訴した武田敏子さん(仮名)は高校卒業後、北海道のバス会社に勤務しているときに、入教。提訴した時は20代半ばである。
代理人 あなたは妹さんが借りていた部屋に何日間ぐらいいましたか。
武田 私は一週間くらいいたかと思います。
代理人 部屋から自由に出入りできましたか。
武田 いいえ、できませんでした。
代理人 かぎ掛かっているわけね。
武田 はい。
(中略)
代理人 あなたが妹さんの部屋にいたときに、外部のビデオセンターのスタッフとは、自由に連絡が取れましたか。
武田 統一協会側のですか。
代理人 ええ。
武田 いいえ、取れませんでした。
裁判は昭和62(1987)年から平成13(2001)年まで14年間にわたった。原告、被告の代理人が書面を交わすだけの審理も含め、年4、5回のペースで法廷が開かれた。後半、原告や被告の反対尋問が行われた時期の法廷でも、傍聴席は5、6人と少なく、両者の間で、淡々と問答が交わされていった。
そんな中、原告の口から、意外にも拉致監禁された実態が事実として語られたのだ。
(「宗教の自由」取材班)
-つづく-