新着情報
“拉致監禁”の連鎖(182) PTSD発症(10) 蟻地獄のような6年間
蟻地獄のような6年間
「リハビリ」と称し、塩谷知子さんを38日間軟禁した京都聖徒教会(京都市北区)
日本イエス・キリスト教団・京都聖徒教会で、いわゆる「リハビリ生活」を強いられていた塩谷知子さんが脱出したのは1994(平成6)年4月のことだった。知子さんによると、「リハビリ」の必要性について、船田武雄牧師は次のように説明した。
「脱会すると、今まで真実だと思っていたものが完全に否定され、絶望感に陥って、それが深い心の傷となる。だから、統一原理(統一教会の教理)の間違いをしっかり理解しなければ、普通の生活ができなくなる。社会復帰するためにも、正しい真理、聖書の教えを学ばなければならない」
京都聖徒教会から逃げ出した知子さんはしばらくの間、知人の家に世話になって心の傷を癒やした。その心の傷をつくったのは、子を思う親心を利用して、個人の人格に関わる信仰心を破壊しようとした船田牧師である。その牧師本人が「リハビリ」と称して聖書を学ばせ、新たな信仰を構築させようというのは、甚だしい独善である。
「リハビリ」中に逃げ出してから3年間、知子さんは両親と手紙だけのやりとりをして会うことを避けた。「また監禁されるかもしれないという恐怖心から、居場所も言えなかった」と、その理由を打ち明ける。この間の1995年、知子さんと婚約者は両親から隠れるようにして家庭生活を始めた。
翌年に妊娠したのをきっかけに、親子関係の修復のため両親との交流を始めた。年末には長女が生まれた。孫の誕生に、母親は喜んだが、「その頃からです。主人が精神不安に陥ったのは」。知子さんが語る夫の精神的な変調は次のようなものだった。
車で実家に向かう途中、運転しながら興奮状態になって「わあー」と叫びだす。そして、「なぜ(妻の実家に)行かないといけないのか」と怒る。両親の話をするだけで、形相が変わった。
夜中になると、毎晩のようにうなされる。知子さんの顔を見ると、「親に対する恨みが出てくる」と言って、暴言を吐き、暴力を振るう。
極度の人間不信に陥り、誰とも会おうとしない。住居が団地であることから、上下左右に人が住んでいると思うと「住めない」と不安を訴える。真っ暗な部屋にいて「死にたい、死にたい」「もう終わりだ。終わりだ」と語り、仕事に就いてもすぐに辞めることを繰り返した。
「『病院に行こう』と声を掛けても絶対行かなかった。だから、私が何度も心療内科のクリニックを訪ねて、夫の症状を話しました。ただ、その時は、拉致監禁の話はしませんでした。それが原因だとは思っていなかったので」と、知子さんは当時を振り返る。
うなされる、怒りっぽい、婚約者(当時)を拉致した親を連想する状況で興奮状態になるなどは、PTSD発症者と重なる症状だ。
知子さんによると、東京の有名私立大学出身の夫はもともと真面目な性格で、人付き合いがうまいタイプではない。一般に内向的で神経質な性格は、PTSD発症のリスク因子と言われており、トラウマ体験からPTSDか、何らかの精神疾患を発症したものと考えられる。
PTSDは自身の体験した過酷な状況を人に話すことで、ストレスが軽くなることが多いが、人間不信が強く、人に話すことが難しい場合などは孤立感を強めてしまう。このケースに当てはまる夫と生活を共にする知子さんにとっては「それから6年間は蟻地獄」のようだった。
(「宗教の自由」取材班)