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“拉致監禁”の連鎖(181)PTSD発症(9) 被害者の夫が先に発症
被害者の夫が先に発症
107日間の拉致監禁の被害に遭った塩谷知子さん
連載7回までは拉致監禁のあと、直接の被害者である妻とその夫がともに精神障害を患う今利理絵、智也さん夫妻の例を取り上げた。しかし、これは決して例外的なケースではない。拉致監禁による強制棄教という異常で過酷な体験によって、長期にわたって精神的に苦しむ夫婦は他にもいる。
「拉致監禁から肉体は解放されましたが、私の家庭では拉致監禁はまだ終わっていません。あまりに衝撃的な出来事に当事者じゃなくても、身近な人もPTSDを発症するのです」
こう語るのは大阪に住む主婦、塩谷知子さん(44)。統一教会の信者である知子さんが拉致監禁の被害に遭ったのは1993(平成5)年12月のこと。家族に散髪を頼まれて、大阪市内の実家に帰った時だった。家族らによって無理やり車に押し込まれて拉致され、まず京都のマンションで69日間、監禁下に置かれた。
計画を指導したのは、日本イエス・キリスト教団・京都聖徒教会の船田武雄牧師だった。知子さんによると、マンションの一室に入れられると、親が玄関ドアに鍵とチェーンをかけ、さらにそのチェーンに南京錠をかけた。他の信者に対する拉致監禁と同じパターンだ。
船田牧師は、監禁当初の2週間ほどはほぼ毎日、マンションを訪ね、統一教会の教理などを批判し、知子さんの信仰を否定したという。監禁前に46キロあった体重は40キロまで減って、心身ともに限界状況に達した知子さんは、これも他のケースと同じように「偽装脱会」を図り、ようやくマンションから解放された。
そのあとは、いわゆる「リハビリ」で京都聖徒教会に軟禁状態となって、聖書の勉強などをさせられた。ここを自力で脱出できたのは軟禁38日目。結局、拘束期間は合計107日に及んだ。
当時、知子さんには、入籍を済ませた婚約者(現在の夫)がいた。入籍したのは、両親による拉致監禁の懸念があったからだ。監禁中は、知子さんの母親が婚約者に「親子の話し合いをします」という手紙を送っただけで、居場所は知らせないままだった。
一方、婚約者の両親は2人の結婚を喜び、結婚式を挙げることを考えていた矢先のことだった。婚約者にとっては、近く家庭を持つはずの女性が突然、所在も安否も分からない状態になったわけだ。
後で分かったことだが、婚約者は教会関係者とともに、知子さんが軟禁されていた京都聖徒教会を訪ねている。その時、「知子さんは『会いたくない』と言っている」と告げられて、追い返されるという屈辱を味わっている。
「まじめで純粋なタイプ」(知子さん)の婚約者は、こうした体験をきっかけに、極度の人間不信に陥ってしまったのだ。今でも、当時のことについては語ろうとしないが、知子さんの拉致監禁が婚約者にとっても重い後遺症を残すトラウマ体験だったのは間違いない。今利さん夫婦と違うのは心の傷によって、夫が先に通常の日常生活を送れなくなったことだ。
知子さん夫婦が家庭を持って、子供が生まれたのは1996年12月。妊娠をきっかけに、両親に2度と監禁しないことを約束してもらうため、夫婦で両親の家を訪ねた。孫が出来たということで、母親は喜び、そこから親子関係の修復が始まった。
しかし、夫が精神不安に陥ったのは、そのころからだった。
(「宗教の自由」取材班)