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“拉致監禁”の連鎖(179)PTSD発症(7) 今も強い無念の思い
今も強い無念の思い
拉致監禁の後遺症に翻弄され続ける今利理絵、智也さん夫妻。中央は長女
拉致監禁をめぐり今利理絵、智也さん夫妻と両親らとの間に「和解」が成立したのは2006(平成18)年3月。夫妻が子供たちを連れて初めて新潟に住む両親のもとを訪れたのは、それから1年9カ月後の07年暮れのことだった。
「一年間は、とても会いに行けるような精神状態ではなかった。被害感情がすごく強かった上に、『監禁していない』と嘘をつかれ、地裁、高裁と敗訴になったのですから」と、理絵さんは実家訪問が遅れた理由を打ち明ける。2度も拉致監禁しながら、民事裁判でそれを否定した両親や親族に対する不信感がすぐに消えないのは当然だろう。
初めて両親のもとを訪れた時のことだった。理絵さんの拉致実行に加わった親戚が正月のあいさつに両親の家にやってきて、今利さん夫妻と鉢合わせとなった。理絵さん拉致の際、ファミリーレストランの駐車場で智也さんを地面に組み伏せてけがを負わせた2人のうち1人だった。その顔を見た時、智也さんは「怒りと恐怖がフラッシュバックのように蘇ってきた」という。
最高裁の「和解調書」には、それぞれの信仰を尊重するとともに、「円満な親子関係及び親族関係を築くことができるように互いに努力する」という内容が盛り込まれている。しかし、拉致監禁の被害者にとって、深く亀裂の入った親子・親族関係の修復は、いやが上にもトラウマ体験の記憶が蘇る過酷な作業である。
和解成立前から、精神科で治療を受けていた智也さんは、医師から対人接触での刺激を避けるように注意されていた。また、職を持たないことで、妻の実家を訪ねづらかったこともあり、訪問は一度限りで途絶えている。
一方、理絵さんは夏休みに、子供とともに帰省するなど両親との交流を続けている。親子で本音の会話ができるようになるには時間が必要だが、実家との交流や3年ほど前から続けている代替医療、漢方薬の効果も重なってか、「今年に入って、うつが改善されてきている感じがする」と語る。
両親との交流の中で、理絵さんが気付いたことがある。拉致監禁される以前に、家族と過ごした思い出が記憶から消えていたことだ。「拉致監禁の被害は、家族との温かい思い出までも、消し去ってしまうんだな、と実感した。親子関係に悩んで統一教会に来たのですが、それでも楽しい思い出はあった。それさえも消してしまうような体験だった」のだ。トラウマ体験を思い出すことによる苦痛を「回避」するために起きる記憶の喪失、感情の麻痺はPTSDの特徴である。
理絵さんが監禁から逃れて、智也さんのもとに戻ってから今年6月9日でちょうど15年。理絵さんのPTSD、智也さんの双極性障害、そして理絵さんの重度のうつ病と、今利さん夫妻にとって、この15年は拉致監禁の後遺症に翻弄され続けた歳月であり、それは今も続いている。
そして、無念さも強く残っている。牧師と両親に対して、監禁の違法性を認め、損害の賠償と2度と拉致監禁しないことを求める意見書を最高裁に提出したのは強制棄教を撲滅し、自分達と同じような苦しみを味わう被害者を出したくない、という強い願いがあったからだった。「その志が果たせなかったという思いはずっと残っています」(理絵さん)。
今利さん夫妻の精神疾患の回復が遅れる背景には、警察と検察が強制棄教の犯罪性から目をそむけ、「加害者」が誰一人罰せられていない日本の社会状況もあると言える。
(「宗教の自由」取材班)