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“拉致監禁”の連鎖(175)PTSD発症(3)「お腹の子も監禁される」
「お腹の子も監禁される」
今利理絵さんが監禁された場所のうちの一つ、埼玉県深谷市のマンション
2回目の監禁から解放されて4カ月後の1997(平成9)年9月、東京都内の精神科で「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)と診断された今利理絵さんは、睡眠薬、精神安定剤を処方された。またカウンセリングのため、約7カ月間、月2回通院。その後は電話や通院によるカウンセリングを98年末まで受けた。
精神科医師によるカウンセリング治療後も悪夢は毎日続いたが、98年秋頃から変化が表れた。きっかけとなったのは夫、智也さんのアドバイスだった。「夢の中で逃げないで、戦いなさい」
それまでの悪夢では、拉致監禁しようと追ってくる父親から逃げてばかりいた。しかし、夫の言葉が契機となって、夢の内容が変わってきた。父親に追いかけられる夢を見ても「助けてください」とコンビニに逃げ込み、父親を指差して「拉致監禁はいけない」「この人が犯人です」と抵抗するようになった、という。
年が変わってからは、悪夢の回数が週1、2回に減り、春頃になるとあまり見なくなった。
5カ月間の監禁中、「気が狂う!」と感じるほどの極限状態を持ちこたえた理絵さんだったが、解放後は悪夢やフラッシュバックのほかにも「異常な感覚」を体験した。家に1人でいる時は、一度ドアチェーンをかけたにもかかわらず、しばらくすると「本当に閉まっているか」と、不安になって確認するということを何度も繰り返した。
後ろから誰かが走ってくると、そのたびに自分を拉致監禁しに来たのではないかと思い込んでしまう。その恐怖から身動きできなくなった。外出中にワンボックスカーやミニバンを見かけても、同じような恐怖心に襲われた。第一子を妊娠すると、「お腹の子供も一緒にとらわれの身になってしまう」と、一度は弱まった不安感が再び強まった。
さらには、夫と一緒に部屋にいるのに、玄関ドアにチェーンや南京錠で施錠されていなかったり、窓が開いているのを見ると、「なぜ南京錠がかかっていないのだろう?」「なぜ私に自由が与えられているのだろう?」と、自由でいることに違和感を覚えるという不思議な感覚に囚われた。
こうした状況は、監禁解放から2年間は続いたという。
当時を振り返り、理絵さんは「監禁中に『おまえはマインドコントロールされた犯罪者だから、監禁され説得されないといけない』という扱いを受け続けたので、肉体は解放されてからも、監禁状態と同じような感覚が続いたのだと思う」と自己分析する。
東北大学加齢医学研究所の研究グループは最近、PTSD発症後は、恐怖体験の記憶などを消去する脳の「眼窩前頭皮質」が萎縮することを突き止めた。つまり、PTSDの症状には、強い精神的ショックで脳が傷つき、恐怖や不安を制御する記憶の機能が適切に働かなくなっていることとの関連性が考えられる。
一昨年秋、理絵さんは拉致監禁、暴行、脅迫を理由に、両親や牧師らを相手に起こした民事訴訟や3度の出産などでできなかったPTSDの治療をしたいと思い、川崎市内の精神科を訪ねた。そこで今度は別の精神疾患を告げられた。
(「宗教の自由」取材班)