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宇佐美さんの声に耳を傾けよう! /火の粉を払え ルポライター米本和広blog
ストーカー事件の真相(21)
いよいよ明日(5月24日)、東京高裁で判決が下ります。
結果を知る前に、いま一度、宇佐美さんの声に冷静に耳を傾けるのは、無駄なことではない。いやそれどころか、“ストーカー”事件の真相を知るうえで、法廷のルールに縛られない彼の率直な語りに、是非とも耳を傾けるべきだと考えます。
News! 先ほど、東京高裁で控訴棄却の判決が下されました。これで宇佐美さんの有罪が確定してしまいましたが、宇佐美さんの独白は、判決とは関係なく、広く読まれるべきだと思っています。 5月24日正午記
News2 宇佐美さんと弁護人は上告の意向のようです。上告期限は6月7日。6月1日までに方針が決定される模様です。 5月24日夕暮れ時
お知らせ 末尾に上告についての感想めいたことを追記しました。 5月25日正午記
紹介するのは、今年の『週刊実話/2月16日号』に載った宇佐美氏のインタビュー記事です。
発行元の「日本ジャーナル出版」の許可のもとに転載します。火の粉ブログの日本人読者はともかく、海外在住の方にとっては初めて目にされる記事だと思います。
なお、宇佐美氏の顔写真は同社から提供していただきました。心からお礼を申し上げます。
記事は原文のママだが、適宜、改行、行空けを行った。下線、カラーリングは管理人。四角で囲った文は管理人の注釈である。
末尾に、この記事の持つ意味についての解説を加えた。
◇◇◇◇◇◇◇
統一教会
“合同結婚式”相手へのストーカー規制法違反で逮捕された男の独白
「結局みんな不幸になった」
昨年師走、特別手配されていたオウム真理教の平田信容疑者が自首した。平田を匿っていたとされる斉藤明美容疑者も出頭し、逃亡生活を支え続けた女の健気(けなげ)さが浮き彫りになった。
一方、平田自首の4日前、東京地裁で、あるストーカー規制法違反事件の判決があった。卑劣な行為と断罪され、懲役3月執行猶予4年の有罪判決を下されたのは、世界基督教統一神霊協会(以下=統一教会)信者の宇佐美隆(43)。同氏を刑事告訴したのは、元信者で婚約者だったAさん。両ケースは同じカルト教団、同じ男女の話なのだが、この落差は一体何を物語るのか。
宇佐美氏は判決を不服として控訴したが、不覚にも“前科者”となってしまったその心境を聞こうと、埼玉県の実家を訪ねた。
以下はその際の一問一答である。なお、本人承諾の上、氏名及び顔写真を公表した。
-逮捕時(2011年2月7日)の様子を聞かせてください。
「朝の8時頃でしたか、呼び鈴が鳴るので『こんな早く誰だろう』と玄関を開けると大勢の男が来ている。そのうちの一人に紙(令状)を突きつけられ、寝ぼけ顔をこすりながらよく見ると、ストーカーうんぬんと書いてある。何の騒ぎかさっぱりわからず、言われるまま家に上げました」
-家宅捜索で何を押収されましたか。
「僕はネットを使った中古車卸業をしています。パソコン4台、ノート類、携帯電話はもちろん、洋服、彼女からの手紙まで、つまり仕事と私生活に関わるほとんど全てです」
-逮捕時にテレビ局のクルーは来ていましたか。
「正面玄関に警察車両が横付けされ、左右と正面方向にテレビカメラが確認できました。フードをかぶさせられたので『やめてください』と訴えると、『出るときにこうするんだ』と強制的にかぶせられました」
-逮捕時の様子は新聞各紙、各局ニュースで大きく報じられました。両親は驚かれたでしょうね。フジテレビとエイト君
右の写真は、フジテレビが流した、宇佐美さんが逮捕されたときの映像である。これを観た人なら、誰だって、極悪人のように見えたであろう。宇佐美さんの家族は衝撃を受け、近所や親戚からの問い合わせに何も答えられなかったという。
しかし、顔を隠したいために自分からフードをかぶったのではなく、「やめてくれ」と頼んだのに、強制的にかぶされたのだという。このことは、はっきり記憶しておく必要があるだろう。これまで同じような目にあった被疑者は宇佐美さんばかりでなかったはずだから。これからも。
もし、左の素顔が映っていたら、印象はずいぶん違ったものになっていただろう。
ところで、大いなる疑問がわく。
逮捕の模様を伝えたのはフジテレビばかりではなかった。しかし、なぜフジテレビばかりが顔が映った映像を流したのか。 放映時間も他局よりも長かったと聞く。
宇佐美さんの容疑は、「恋愛感情を充足させる目的で、待ち伏せ行為を繰り返した」というもの。Kさんの前に立ちふさがったり、手をひっぱってどこかに連れ出そうとしたり、あるいは身体を触ったわけでもない。別に宇佐美さんの味方をしようがしまいが、客観的にみれば、たいした事件ではない。
11年のストーカー行為の認知件数は1万4618件。参考サイトは「ストーカー件数高止まり 11年、4年連続1万4千件超」
「待ち伏せ行為を繰り返していた」とされる宇佐美さんの事件が報道に値するものであれば、新聞記事の社会面は毎日ストーカー事件で埋まることになる。
どうして警視庁は逮捕予告を報道各社に行い、それに応じてマスメディアは実名で報道し、フジは顔を流したのか。猥褻が絡むようなストーカー事件でさえ、実名・顔写真報道は少ない。それなのに・・・。
『週刊実話』の記者も私と同じような疑問を抱いたから、「逮捕時にテレビ局のクルーは来ていましたか」という質問をしたのだと思う。
もう一つの疑問は、ブログ「やや日刊カルト新聞」のエイト(ハンドルネーム)こと、鈴木衛人(偽名)こと、田中清史氏は、どのようにしてフジの右の映像を写真に撮り、ブログに掲載することができたのか、ということだ。
大手の新聞社・テレビ局は、すべての番組を録画し、必要があったときに静止画面を写真に加工できる備えをしていると聞く。
田中清史氏が住むそれほど広いとは思われないアパートに、新聞社のような録画室があるとは考えられない。ということは・・・。
つまり、フジテレビだけを録画し写真に加工した、としか考えられないのだ。
ならば、どうして田中清史氏はフジが宇佐美さんの顔を流す可能性があることを知っていたのか・・・。あるいは複数の人たちが絡み、全局を録画していたのか。これも大いなる謎なのである。
「告訴した相手の、ついこの間までの“良き婚約者”ぶりを知っているわけですからそりゃそうです。父からは『控訴するな。これ以上世間の物笑いにされるのは我慢ならん』と言われました。ある親戚の結婚も無期延期になるなど、一族にまで迷惑を掛けたのは事実です。しかし、納得できないものはできません」
-両親はあなたの入信や合同結婚式への参加に反対ではなかったのですか?(宇佐美氏とA子さんは、07年2月の合同結婚式に参加し、ペアとなった)
「積極的に賛成したわけではありませんが、渋々というレベルです。結婚に際しては07年8月に、A子さんも僕の両親の元にあいさつに訪れています」
今回の事件では、警察当局から一度も「警告」が発せられた形跡がない。突然逮捕され、マスコミに実名および顔写真が公表されたという。
しかも、事件の担当が警視庁刑事部ではなく公安部だったことからも、単なるストーカー事件の摘発というより、当時のターゲットが統一教会だったフシもうかがい知れる。
ストーカー規制法の運用に関する通達の最後部には、適用上の留意事項として、国民の権利を不当に侵害しないように注意する旨が記されている。さらには本来の目的逸脱、他の目的のために濫用してはならないとも記されている。
認められなかった主張
統一教会は、職業や家庭を捨てる献身、教祖夫妻からの「祝福」という名の強制結婚、詐欺まがいの霊感商法の強制など、世間からは反社会勢力視されている。
-A子さんの両親は、どう見ていたのですか。
「彼女は熱心な信者で、教会での合同生活をしながら信仰に揺らぐ人のケアをしていました。彼女の両親は入信にも結婚にも反対で、過去に拉致・監禁(反統一教会側は保護・説得と表現)を依頼したという情報もありました。彼女が両親を警戒していたとはいえ、結婚するわけですから、08年の正月に、両親の元へあいさつに行くことになりました。しかし、僕だけが拒否され、実家に入れたのは彼女だけ。5分ほどで出てきた彼女に、これはワナではないかと注意を促しましたが、心配はないと言う。ほどなく彼女は実家に戻り、その後、僕はメールを発信しましたが、応答がない。実家にも電話を入れましたが、やはり応答はありませんでした。実家に行くと、人の気配がない。これは拉致されたものだと思いました」
-つまり「あなたは嫌い」と言われ、それを納得できないという理由でストーカーになったのではないと。
「実は1999年に参加した合同結婚式においても同じケースに遭遇しています。その時は相手に会うことができ『脱会したらから婚約は解消する。あなたは嫌い』と言われ、あきらめました。同じことを面と向って言ってくれれば、彼女の居場所を探したりはしません」
-あなたは、A子さんの父親の車(報道ではA子さんの車に付けたことになっている)にGPSを取り付けましたね。判決でも卑劣と指摘されているように、やり過ぎだとは思いませんか。
「09年の秋ごろ、彼女の父親が出入りしていたマンションがわかったのですが、実はそのマンションは12年間、反対派に脱会を迫られた後藤徹さんが監禁されていた場所と同じだったのです。ということは、彼女は後藤さんを監禁したグループに連れ去られ、同じ目に遭うのではと心配になるのは当然でしょう。
GPSを付けたのは、とにかく彼女に会って、脱会を装って脱出の機会をうかがっているのか、本心からの脱会かを知りたかったのです。結果的に本心であることがわかったのであきらめましたが、裁判では『ストーカー行為』とされて、本当の動機は一顧だにされませんでした」
11年5月の参議院法務委員会で、反統一教会の有田芳生議員(民主党)が警察庁へ、GPS取り付けについて質疑を行った。その結果同庁は、GPSを設置する行為自体を禁止した法令はないと回答している。
有田国会質疑の背景
有田氏は、この記事にこう呟いている。
「週刊実話」を立ち読み。ストーカーで逮捕、有罪判決を受けた統一教会信者・宇佐美隆氏 http://goo.gl/j2FO8
のインタビューが本人同意の写真入りで掲載。法務委員会の私の質問にも触れている。犯罪を補助したGPSでの尾行は問題だとの趣旨なのに都合よく書いている。2012年2月4日 - 22:22
GPSでの尾行は問題ではないかと有田氏が質問したのに対して、警察庁はGPSを設置する行為自体を禁止した法令はない(GPSの設置は違法ではない)と回答した。別に、都合よく書かれているわけでない。
それにしても、私への誹謗中傷するようなものとは違って穏やかな批評である。その昔、この雑誌で原稿を書いていたことがあったというから、筆が鈍ったのかしらん。
それはともかく、疑問がわく。
有田氏は、質問する前にGPSの設置が違法でないことは知っていた。それゆえ、警察庁の回答も予想できていたことだ。(このブログでも、宇佐美さんの逮捕直後から、GPSの設置は違法ではないことを何度も説明してきた)
しかもである。
宇佐美さんの刑事裁判が始まり、「犯罪を補助したGPSの尾行」(日本語になっていない)が問題かどうかは、東京地裁で判断されることになっていた。
(福士判決文ではGPSの設置は量刑で酌量しているが、「犯罪を補助したGPSの尾行」それ自体が問題であるとは一切触れていない)
つまり、わざわざ国会で質問する必要はまるでなかった。
それなのに、なぜ、国会議員にとって晴れ舞台・委員会質疑の場で、一年生の議員の有田氏はあえて国民的テーマでないマイナーなGPS問題を選んだのか。
話はそれる。「拉致監禁by宮村の裁判記録」にアップされた宮村峻氏の陳述書にこんな一節がある。周知の通り、有田氏は宮村氏のことを「同志」と公言し、宮村氏から選挙資金の提供も受けている。
Uの刑事事件で明らかになったGPS発信機をつけて狙った相手をつけ回す手口は、私に対してもなされています。2011年春、私は私の使っている乗用車の車底部にGPSがつけられて作動していることを発見しました。ややくたびれた宮村さん。by白い旅団
GPSを発見した宮村氏は震撼としたに違いない。そこで、彼は有田国会議員にこう頼んだのではないのか。
「国会で質問してくれないか。質問するだけで、統一教会はビビるはず。そうすれば、俺の車にGPSが設置されるようなことはなくなるだろう」
(宮村氏の気持ちになれば、こう頼んだとしても、突拍子もないことではない。車に乗るとき、毎回の車の底をズボンを汚しながら、チェックするのは大変なことだから。ちなみに、駐車場は自宅前の通り沿いにあり、簡単に設置することができる)
穿ちすぎなのか。時系列を示しておく。
2011年春、宮村氏が車にGPSが設置されたのを発見。
2011年5月11日、宇佐美さんの公判が始まる。
2011年5月14日、有田氏が国会で質問。
-あなたは無実を勝ち取ることより、敏腕脱会屋の存在を世間に知らしめようとする統一教会に利用されたとは思いませんか。つまり“究極の献金システム”と反統一教会側から指摘される“祝福つぶし”を何とか阻止しようという教会側の犠牲になったと。「愛などなかった、信者の義務として探した」と言えば、ストーカー規制法違反での有罪にはならなかったのではないか。
「いや、むしろ教会は積極的に動いてくれませんでした。あの正月には、アベル(上司)がいないからとか言い逃れて、もっと機敏に動いてくれれば、彼女は棄教を迫られる前に家を脱出できたかもしれないのです。今となっては、結局みんなが不幸になってしまった。そんな思いです」
教会が当初、動かなかったのは事実である。そのために、宇佐美さんは私に相談したのだから。
Aさんの意思を確認するために居場所を探したと主張する同氏の証言には、一定の整合性がある。しかも、宇佐美氏はネットを通じてビジネスをしているため、パソコン類の押収で取引先を失うなど、一時的にせよ生活権まで奪われてしまった。
われわれは統一教会に対しても、あらためて宇佐美氏の件を問いただした。以下はその回答である。
「宇佐美君には脱会屋の存在を明らかにしたいという意思がもちろんあった。なぜならその背景に触れずに今回の事件の真相は理解できないからだ。彼がA子さんを愛していたのは事実。双方からの報告内容からもそれは明らかだ。
信者に対する監禁事件は、最多の年には1日に1件起きていたが、ここ数年は年間10件前後で推移し、昨年は5件に減った。減少傾向にあり、今さらになって経済的な打撃を避けるためなどとする必要はない。
祝福=献金システムであるという点については、あくまでも、祝福式に参加できたことに対する神様への感謝献金であるとともに、エンターテイメントを含む式典諸経費、会場費や宿泊費などが含まれている。莫大な利益をもたらすなどという意見は、反対派の主張にほからない」
宇佐美氏の独白からは、通常のストーカー事件とは明らかに異なっている点が感じられたのは事実だ。
そして、逮捕によって失ったものも大きかったのではないか。
-若干の解説-
実話記事の意義
『週刊実話』は、これまで何回か統一批判を書いた雑誌だという。それにもかかわらず、
「事件の担当が警視庁刑事部ではなく公安部だったことからも、単なるストーカー事件の摘発というより、当時のターゲットが統一教会だったフシもうかがい知れる」
「宇佐美氏の独白からは、通常のストーカー事件とは明らかに異なっている点が感じられたのは事実だ」
と、今回のストーカー事件には裏があるような表現をしている。 注目に値しよう。
つまり、どんなに統一教会に批判的であれ、記者が偏見とか先入観を捨て、価値中立的に取材すれば、どんな記者だって、今回の事件は何か変だということに気付く、ということなのだ。
これと関係する話である。
最近、TBSが報道特集で、北朝鮮と統一教会との関係という視点で、教団のことを取り上げた。TBSは周知の通り、90年代前半に週刊文春と連携し、統一教会バッシングを激しく展開した局である。
当然、今回の報道も統一批判一色の番組が予想された。しかし、それほどのことではなかった。
私は比較的価値中立的な番組だったという印象を受けたが、有田氏はブログ(4月23日)で「(統一教会の)宣伝番組」と酷評。そして憤懣やる方なしといった感じで、
担当したA氏はかつて統一教会に厳しい対応をしていた。このままならば、当時私たちに取材したのも、そのときどきの方便だったということになる。
と、ややヒステリー気味に、愚痴っていた。
番組を観たある教会員は「ひどい、偏向番組だ」と憤り、教団本部も公式サイトの「報道特集で報道された番組について」でも、批判文を載せている番組なのに、どうして?
仄聞情報だが、TBSは有田氏にはインタビューを申し込まなかったと聞く。反統一教会記事をきっかけに国会議員というスターダムにあがった有田大御所には、それが気に食わなかったのか(だとしたら、笑える)。あるいは「統一教会にたんに批判的」というスタンスではダメだ、「激しく批判的でなければ、それは宣伝番組と同じだ」と考えているからなのか。
有田氏は偏った取材だというが、韓国の教会員からはこんなメールが届いていた。
「TBSの記者の方は、韓国の反統一派である原理主義的なプロテスタントや学者にもインタビューしていたようです」
それが放映されなかったのは、あまりにも反統一色が強いコメントばかりだったから、カットしたということなのだろう。過ぎたるは及ばざるが如しだ。
価値判断ある報道とは?
ブログでは先に続けて、次のように綴っている。
価値判断なき「報道」は「中立」を装った屈服である。
いっけん俗耳に入りやすいが、この歯切れのいい主張は正しいのだろうか。
あたりまえの話だが、どんな記事であれテレビ番組であれ、記者や制作者はある種の価値観(判断尺度)をもって、記事を書いたり番組を作ったりしている。
しかし、良心的なジャーナリストであればあるほど、自分の価値判断を入れることにはきわめて抑制的である。なぜなら、価値判断を入れると、受け手を誘導(世論操作)することになりかねない。そう危惧するからだ。 そのため極力、価値判断なき報道を心がけ、価値中立的であろうとする。
では、誰が価値判断するのか。それは言わずと知れた報道の受け手である。
かつてジャーナリストを肩書にしていた有田氏は、自分が語っていることの意味を理解していないとしか思えない。
俗耳に入りやすい言葉を逆に考えてみれば、いかに有田氏の言葉が反動的であるかを理解することができよう。
つまり、「価値判断ある報道」とは何か-ということである。
私が真っ先に浮かんだのは、「鬼畜米英」「非国民」の文字が躍った戦中の報道である。あのときの「価値判断ある報道」によって、国民は戦地に追いやられ、日本は戦火に巻き込まれ、アジアの人民は殺戮された。有田氏がブログを綴りながら、こうしたことを想起しなかったとすれば、相当に感度が悪いと言わざるを得ない。
私は、有田氏がTBSへの腹立ちまぎれで、咄嗟に、「価値なき報道は中立を装った屈服である」という語句が思い浮かんだのかと思った。
有田さんはメッセンジャーボーイ
しかし、よくよく考えてみると、彼は記者時代、こと統一教会に関しては、「価値判断ある報道」しかして来なかったのではないか。つまり、「価値判断ある報道」は彼の矜持だったがゆえに、先の言葉が浮かんだということではないのか。
フリーライター時代の彼の、こと統一教会に対する報道尺度は、「統一教会に反対する」「統一教会に打撃を与える」(エイト君と同じ、反統一教会活動家)ものでなければならない、というものではなかったのか。
してみれば、有田像が見えてくる。
彼は、これまで宮村氏から彼が説監禁下で説得して脱会した人たちを紹介してもらい、元信者の声に耳を傾け(その声は結局のところ、宮村氏が刷り込んだ言葉 )、それをせっせと記事にしてきた。ジャーナリストではなく、まさにメッセンジャーボーイ!
(宮村さんが直接、記事を書けば良かったのに。そうしたら今頃、宮村先生は国会議員だった。ヒェ~ )
「価値判断ある報道」を心がければ、脱会の経緯や自主脱会者の存在は関係ない。周辺取材も、裏付け取材も必要としない。ひたすら、彼の価値に合う材料をつまみ食いすればいいだけのことであった。
今回の事件でもそう。拘置所にいる宇佐美さんにインタビューすることなど論外のこと。宇佐美さんの家族の慟哭なんて知ったことか。思考構造が脱会屋の宮村氏とまるで同じなのだ。
その矜持が20年以上経っても化石の如く現存しているのだから、TBSの変化(「価値判断ある報道」から「受け手が価値判断する報道」への変化)が変節としか映らなかったのであろう。
有田氏はかつて共産党員だったというのに、人や組織を含め事物は変化するという弁証法(生成・成長・発展・衰退・消滅)を学ばなかったのか。
(もっとも、誰かが全く別の文脈で使った言葉をパクッたというのが真相だろうが。フ~ッ )
万物は流転する
話を、『週刊実話』記事の意義のことに戻す。
記事の書き手は、今回のストーカー事件に疑問を抱き、宇佐美さんの独白に耳を傾けた。
それによって、独特の嗅覚のもとに、<この事件には裏がある>と判断した。
それでも、記者は統一教会を批判的に見るという矜持は捨てていないから、「“究極の献金システム”と反統一教会側から指摘される“祝福つぶし”を何とか阻止しようという教会側の犠牲になった(のではないか)」という疑問を宇佐美さんにぶつけている。
何を言いたいのか。
マスコミを含め統一教会のことを胡散くさいと思っている人たちが、「是は是、非は非」という姿勢に転じつつあるということだ。
『週刊実話』の記事然り、TBSの番組然り。統一教会の震災支援活動を報じた『フラッシュ』然り。
「国境なき人権」の調査団も訪日してくるし、かつてのディプログラミングの本家・アメリカの議員さんの間でもいろいろ動きがあるようだ。
物事は流転するさ。その兆しが『週刊実話』の記事に見て取れたのである。
さて、明日の判決はどうなることやら。
火の粉を払え ルポライター米本和広blog-上告について-
コメント欄で、上告が話題となっています。私も投稿していますが、おそらく行間からは、上告に消極的な雰囲気が漂っていると思います。
それは、上告・棄却の体験があるからです。知人の上告はモノになるのではと期待しましたが、やはり棄却。どっと疲れました。参考サイトは「上告棄却の理由」&「裁判が終って」
しかし、棄却判決の要点を知り、また宇佐美さんが上告の意思を示したことを契機に、<地裁判決、高裁棄却判決がこの世にまかり通れば大変なことになる>と、改めて考え直しました。
福士判決が適用されれば、例えば、次のようなケースでも、有罪となります。
A君はBさんに恋愛感情を抱いていた。何とか愛を告白しようと、彼女の帰りを駅の改札口付近で待っていた。4回は通りすぎるのを見送っていただけ。話しかける勇気がなかった。1回は偶然に話をすることができたが、恋心を伝える以前に、Bさんの態度はそもそも冷たく、それで諦めた。
Bさんには恋人がいた。その恋人が嫉妬心からA君を告訴するようにBさんに唆した。その結果、A君は突然逮捕された。
弁護人は、
-A君が「恋愛感情を有していた」のは事実だが、駅で待っていたのは「恋愛感情の充足を目的」としたものではない。しかも、隠れて待っていた(「待ち伏せ」)のではなく、たんに「待っていた」だけである。
さらに「待ち伏せ」には相手への意思表明がなされることが含まれるが、A君は意思を表明していない-
と主張したが、裁判所は宇佐美さんの地裁・高裁判決を踏襲し、有罪判決を下した。
たとえ話で書いたことは、宇佐美さんのケースと構成要件はまるで同じである。
なお、高裁棄却判決では、判示4で宇佐美さんがK女の姿を初めて見たあと、教会関係者に電話で「話しかける勇気がなかった」と話したこと(警察への供述調書)をもって、「意思表明はしていないが、意思表明する意思はあった」と認定したという。
恋心を抱き、相手に告白するために待っていただけで、「恋愛感情を充足させる目的で、待ち伏せを繰り返していた」と事実認定されてしまうことになります。
人は誰しも、恋愛感情を抱き、相手に自分の気持ちを伝えたいと思います。それは人として当然の営為です。
ところが、恋愛感情を表現をしようとする行為は、何ら証明されることなく端から、「恋愛感情を充足させる目的での行為」とみなされてしまう。これが「待ち伏せ」の字義とともに、宇佐美判決の最大の問題点 です。
明らかに憲法13条(個人の尊重・幸福追及権・公共の福祉)に違反します。
ただし、最高裁に上告する件数は年間約3万件(最高裁判事一人当たりにすると2700件。ほとんどが最高裁判事を補助する約90人の裁判研究官がふるいにかける)。
上告の多くが憲法違反、法令違反、重大な事実誤認を上告理由としていますが、認められるのは約1%と聞いています。
従来型の上告理由では棄却されると思います。判事、研究官が「なるほど、そういう法的視点もあったのか」とうならせるような、パラダイムを変えた弁論の組み立て方が弁護人に期待されるところです。