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2012年2月17日
“拉致監禁”の連鎖 パートⅥ 番外編 宗教ジャーナリスト 室生忠さんに聞く(下)
拉致監禁の発覚恐れる当局
変な論法の判決/犠牲の羊を容認する社会
宗教団体を捜査したり監視するのは公安の役目であることは間違いない。オウム真理教(現・アレフ)の事件も一貫してそうだ。現在も政党、宗教団体、北朝鮮との絡みで動く暴力団などの監視がある。ただ今回の宇佐美さんの事件は、それとはまったく異質だ。ストーカー事件なんてものは、最初に公安が出てくる案件じゃない。
日本の検察も公安も、統一教会が教団ぐるみでストーカーを指示してやっていると考えるほどアホじゃない。刑事課なり生活安全課が公安にお願いしますと、この事案を持ってきたなら別だが、今回の事件はどうもそうじゃない。宗教団体の信者が起こしたと思われる事件だから公安が出てきた、というのは通らない話だ。
例えば、親鸞会は公安のマークが入っているが、親鸞会の信者がストーカー行為をしたからと言って公安が出てくるのかというと、私は出てこないと思う。今回も、統一教会だからというのでなく、統一教会が強制棄教の問題を主張しているから公安が出てきた。
――えっ、強制棄教問題を主張するから、公安が出てくると。
メディアやメディアに醸成された空気が根強く残っている社会におもねって、公安が出てくるという部分もあるが、本音としては統一教会が、拉致監禁なり強制棄教なりの問題を主張しているということが大きいと思う。
今の公安が気にしているのは、ディプログラミング(強制棄教)が国内で起きているのに、それについて当局がしっかりした捜査もしていない、逮捕も起訴もしない、捜査が後ろ向きである。そういったことが日本社会や国際社会に公になることを嫌っていると思う。
――そういう見方もできるのか。
今回の訴訟指揮を見ても分かるが、弁護側が拉致監禁問題に触れようとすると、どんどん遮断していくわけだ。判決文を読んでみても、一カ所、最後の方に、拉致監禁や偽装脱会は理由にならないと出ている(注・判決文の「偽装脱会は…故意の存否に影響しない」の部分)が、それは変な論法だ。
拉致監禁の問題は本当にあるのか、Kさんが偽装脱会をしたと考えざるを得ないような状況があったのか、そこをきちっと見なければいけないのに、全部蹴飛ばしている。最初から「恋愛感情を充足させるため」と決めつけており、まず結果ありきだった。
なぜそういうことになるのかというと、現実に拉致監禁が起きており、ものすごく被害が出ている。そういうことが公になると、警察や検察は社会的追及の的になってしまう。批判の対象になる。捜査当局や裁判所に、それは甚だまずいという判断があるからだと思う。それは明らかに捜査当局の腐敗であり、批判されなくてはいけない。
東京地裁・高裁の建物=東京・千代田区
――北朝鮮による日本人拉致事件も、今でこそ全国民が被害者とその家庭に深い同情と支援を寄せているが、当初は国の機関も協力的だったと言えない所があった。
拉致監禁問題が明らかになると、警察なり検察なりが、今まで体現してきた統一教会に対するイメージ、雰囲気、流れとか、否定的なものががらっと変わってしまう。
これらは広く言えば、山本七平さんがおっしゃったことに帰着する。日本の社会の特性として、シロかクロか、どちらかに流れていくという側面があるが、その前提として、常に敵を用意しておく、常に攻撃する対象を用意しておく。これは日本だけでなく、世界的なものだと言ってもいいが、特に日本の場合、国家側が安全弁として、言ってみれば犠牲の羊のようなもの、標的を常に備えておく。
今、絶対悪の標的として用意されたのが統一教会だ。統一教会を叩いておれば間違いないんだという、そういう空気なり社会なりが出来上がってきている。それを指導しているのがメディアであり、メディアと協働し、むしろそれをリードし互いに補完し合っているのが警察、検察であり、司法ということになる。そういう構造の方がより積極的というか、リアリティーあるものとして感じる。
――長期的には統一教会自体がイメージアップしていくために、マイナス要因をゼロにしていくことが大事だし、不当な個別問題に対してはとことん闘っていく強い意志が重要かと思う。統一教会を長い間ウオッチしてきて、どう思うか。
その通りだ。ただ、これだけ、ある種、社会も変に停滞した形で安定しているので、犠牲の羊みたいなものを変えていくことが必要だ。
どうやって変えていくのかというと、統一教会自体が社会の中での不評の原因を取り除いていく。そして、これは揺るがせにできないという事態が起きれば、裁判もその一つだが、自らそれを徹底的に追及して、その原因なり、根本なり、結論なり、構図なりを批判していくということはどうしても必要になってくる。
不評の原因取り除く努力を/上級審で拉致監禁問題引き出せ
――日本の裁判は起訴されると99%有罪で、控訴して上にいくとさらに狭き門。舞台は高裁に移るわけだが、今後の展望とご意見があれば。
今まで話してきたような社会状況、司法状況を考えると、上級審も大変だと思う。今回の地裁の判決が、裁判長1人の判断なのかどうか。例えば、検察なり公安警察の中でそういう基本的なイメージというものが作られて、それがずーっと継続されたとするならば、そういうイメージが司法の中でも作られて継続されていると考えなくてはいけない。
そういう雰囲気の中で、上級審でひっくり返していくというのは、弁護士さんの手腕にしても大変だし、そういうムードを壊し覚醒させていくというのはなかなか大変なことだ。ただ、完全な逆転ではないにしろ、上級審の判断の中で、拉致監禁問題が取り上げられたり、あるいは取り上げた末に否定される、それでもいいと思う。
先ほどの継続の話だが、ドラスチックに百八十度の変化ができないのであれば、一歩ずつ前進していく、それが控訴された意味だろうと思う。だから、被告に好意的に見る立場の者からすれば、逆転(判決)が出ればそれに越したことはないが、拉致監禁問題に関わりながら一つでも議論されて、審理されていく、そういう裁判官の姿勢が出れば、大きな成果だと考えている。
――あとは後世、歴史の判断にゆだねるということか。
そういうことです。
――引き続き控訴審も追及していきたい。どうもありがとうございました。
【お知らせ】
(1)室生忠氏の新著『大学の宗教迫害~信教の自由と人権について』(日新報道)が全国書店で好評発売中です。
(2)小紙連載「“拉致監禁”の連鎖」は、これまで掲載のパートⅠ~Ⅵの全172回の記事と写真、連載関連の記事とインタビューなどを世界日報HP(ホームページ)で無料公開中です。アドレスはhttp://www.worldtimes.co.jp また、グーグルなどで「拉致監禁の連鎖 世界日報」と検索しても読むことができます。
変な論法の判決/犠牲の羊を容認する社会
○――――○
――前回も触れたが、ある検察幹部OBに聞くと、宗教が絡むと、組織だから、一応警戒して公安が前面に立つのは当たり前だという見解を持っていた。宗教団体を捜査したり監視するのは公安の役目であることは間違いない。オウム真理教(現・アレフ)の事件も一貫してそうだ。現在も政党、宗教団体、北朝鮮との絡みで動く暴力団などの監視がある。ただ今回の宇佐美さんの事件は、それとはまったく異質だ。ストーカー事件なんてものは、最初に公安が出てくる案件じゃない。
日本の検察も公安も、統一教会が教団ぐるみでストーカーを指示してやっていると考えるほどアホじゃない。刑事課なり生活安全課が公安にお願いしますと、この事案を持ってきたなら別だが、今回の事件はどうもそうじゃない。宗教団体の信者が起こしたと思われる事件だから公安が出てきた、というのは通らない話だ。
例えば、親鸞会は公安のマークが入っているが、親鸞会の信者がストーカー行為をしたからと言って公安が出てくるのかというと、私は出てこないと思う。今回も、統一教会だからというのでなく、統一教会が強制棄教の問題を主張しているから公安が出てきた。
――えっ、強制棄教問題を主張するから、公安が出てくると。
メディアやメディアに醸成された空気が根強く残っている社会におもねって、公安が出てくるという部分もあるが、本音としては統一教会が、拉致監禁なり強制棄教なりの問題を主張しているということが大きいと思う。
今の公安が気にしているのは、ディプログラミング(強制棄教)が国内で起きているのに、それについて当局がしっかりした捜査もしていない、逮捕も起訴もしない、捜査が後ろ向きである。そういったことが日本社会や国際社会に公になることを嫌っていると思う。
――そういう見方もできるのか。
今回の訴訟指揮を見ても分かるが、弁護側が拉致監禁問題に触れようとすると、どんどん遮断していくわけだ。判決文を読んでみても、一カ所、最後の方に、拉致監禁や偽装脱会は理由にならないと出ている(注・判決文の「偽装脱会は…故意の存否に影響しない」の部分)が、それは変な論法だ。
拉致監禁の問題は本当にあるのか、Kさんが偽装脱会をしたと考えざるを得ないような状況があったのか、そこをきちっと見なければいけないのに、全部蹴飛ばしている。最初から「恋愛感情を充足させるため」と決めつけており、まず結果ありきだった。
なぜそういうことになるのかというと、現実に拉致監禁が起きており、ものすごく被害が出ている。そういうことが公になると、警察や検察は社会的追及の的になってしまう。批判の対象になる。捜査当局や裁判所に、それは甚だまずいという判断があるからだと思う。それは明らかに捜査当局の腐敗であり、批判されなくてはいけない。
東京地裁・高裁の建物=東京・千代田区
――北朝鮮による日本人拉致事件も、今でこそ全国民が被害者とその家庭に深い同情と支援を寄せているが、当初は国の機関も協力的だったと言えない所があった。
拉致監禁問題が明らかになると、警察なり検察なりが、今まで体現してきた統一教会に対するイメージ、雰囲気、流れとか、否定的なものががらっと変わってしまう。
これらは広く言えば、山本七平さんがおっしゃったことに帰着する。日本の社会の特性として、シロかクロか、どちらかに流れていくという側面があるが、その前提として、常に敵を用意しておく、常に攻撃する対象を用意しておく。これは日本だけでなく、世界的なものだと言ってもいいが、特に日本の場合、国家側が安全弁として、言ってみれば犠牲の羊のようなもの、標的を常に備えておく。
今、絶対悪の標的として用意されたのが統一教会だ。統一教会を叩いておれば間違いないんだという、そういう空気なり社会なりが出来上がってきている。それを指導しているのがメディアであり、メディアと協働し、むしろそれをリードし互いに補完し合っているのが警察、検察であり、司法ということになる。そういう構造の方がより積極的というか、リアリティーあるものとして感じる。
――長期的には統一教会自体がイメージアップしていくために、マイナス要因をゼロにしていくことが大事だし、不当な個別問題に対してはとことん闘っていく強い意志が重要かと思う。統一教会を長い間ウオッチしてきて、どう思うか。
その通りだ。ただ、これだけ、ある種、社会も変に停滞した形で安定しているので、犠牲の羊みたいなものを変えていくことが必要だ。
どうやって変えていくのかというと、統一教会自体が社会の中での不評の原因を取り除いていく。そして、これは揺るがせにできないという事態が起きれば、裁判もその一つだが、自らそれを徹底的に追及して、その原因なり、根本なり、結論なり、構図なりを批判していくということはどうしても必要になってくる。
不評の原因取り除く努力を/上級審で拉致監禁問題引き出せ
○――――○
民事訴訟のほうで若干空気が動いてきているような予感を感じると言ったが、その背景にある、霊感商法的なアクシデントが出なくなった事実が大きい。その動きはまだ、絶対悪としてのイメージを覆すというレベルになっていないが、教団民主主義の問題も含めて、非常に重要なことだと思う。――日本の裁判は起訴されると99%有罪で、控訴して上にいくとさらに狭き門。舞台は高裁に移るわけだが、今後の展望とご意見があれば。
今まで話してきたような社会状況、司法状況を考えると、上級審も大変だと思う。今回の地裁の判決が、裁判長1人の判断なのかどうか。例えば、検察なり公安警察の中でそういう基本的なイメージというものが作られて、それがずーっと継続されたとするならば、そういうイメージが司法の中でも作られて継続されていると考えなくてはいけない。
そういう雰囲気の中で、上級審でひっくり返していくというのは、弁護士さんの手腕にしても大変だし、そういうムードを壊し覚醒させていくというのはなかなか大変なことだ。ただ、完全な逆転ではないにしろ、上級審の判断の中で、拉致監禁問題が取り上げられたり、あるいは取り上げた末に否定される、それでもいいと思う。
先ほどの継続の話だが、ドラスチックに百八十度の変化ができないのであれば、一歩ずつ前進していく、それが控訴された意味だろうと思う。だから、被告に好意的に見る立場の者からすれば、逆転(判決)が出ればそれに越したことはないが、拉致監禁問題に関わりながら一つでも議論されて、審理されていく、そういう裁判官の姿勢が出れば、大きな成果だと考えている。
――あとは後世、歴史の判断にゆだねるということか。
そういうことです。
――引き続き控訴審も追及していきたい。どうもありがとうございました。
(聞き手=堀本和博、片上晴彦)
【お知らせ】
(1)室生忠氏の新著『大学の宗教迫害~信教の自由と人権について』(日新報道)が全国書店で好評発売中です。
(2)小紙連載「“拉致監禁”の連鎖」は、これまで掲載のパートⅠ~Ⅵの全172回の記事と写真、連載関連の記事とインタビューなどを世界日報HP(ホームページ)で無料公開中です。アドレスはhttp://www.worldtimes.co.jp また、グーグルなどで「拉致監禁の連鎖 世界日報」と検索しても読むことができます。