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2012年2月10日
“拉致監禁”の連鎖 パートⅥ 番外編 宗教ジャーナリスト 室生忠さんに聞く(中)
歴史に残る非常識な捜査
重大犯罪のイメージ作り/裁判官の損得勘定も
きちんとした法制上、誰からもどこからも文句のつけようのない具体的な法律的な機構なり方法に乗った上で、そこにおける判断とか物の見方をねじ曲げることによって弾圧を加えていく。おそらく民主主義国家・社会における法制上の問題をクリアしながらの弾圧は、こういうものかなという感じはあった。
ただ、今回のケースが国家によるものか、福士という一人の裁判官の判断なのか、そのあたりは情報が足りなくてはっきり言えない。最初の弁護士や検察官の打ち合わせで、問題が単純でないという趣旨のことを裁判官が言っていたのであれば、あのような一方的な訴訟指揮をし、一方的な判決を下すようになった過程で、福士裁判官個人の中に様々な曲折があったはずだ。
――「様々な曲折があったはず」というのを、もう少し具体的に。
日本の刑事裁判、司法界全体の流れや方向性の中に、統一教会問題、拉致監禁問題については、否定的な判断を下すべきだという、ある種の統一的な価値判断というものがあって、福士裁判官が、それに乗り、沿う形で訴訟指揮、判決を行ったのか。それとも福士裁判官個人の中で、そういう疑いを抱きつつ、やはりこういう結論に持っていった方が自分にとって、社会にとって、司法界にとっていいという判断だったのか。個人の中でそういう判断がなされたとすれば、福士裁判官個人にとって得策だ、プラスだ、逆に拉致監禁問題などを持ち出しては、自分にマイナスが及ぶという損得勘定が働いたという印象は拭い難い。
――今回のケースは裁判以前に、警察の捜査段階から異常な枠組みの中で事が進んだ、という印象が強いが。
おっしゃるとおりだ。今回の捜査の状況というのは、いろいろな意味で常識外れというか、異常だ。ある意味、この事件、訴訟に関する警察の対応というのは、歴史に残る、特筆されるべきものだ。
まず、何より公安が動いたということだ。生活安全課でもなければ、通常の刑事課でもない。ストーカー事案で公安警察が動いたというのは、まず聞いたことがない。しかも警察は、警告も禁止命令も何も出していない。いきなり電光石火、告訴状を受理して二十余日で一気に逮捕し、起訴に持ち込んだ。どう考えても異常だ。
――コワイ話です。被告逮捕に関する状況も、いろいろ演出されていましたね。
宇佐美さんは拒否したようだが、頭から上着をかぶせ重大犯罪の犯人であるように見せかけたという。警察から警察署詰めの記者やテレビ局に、今から逮捕するというようなリークをして、その現場を撮らせる、そういう周到さ。また家宅捜索が行われて、洗いざらいというほど何もかも持って行った。ストーカー事案ではあり得ないことだ。
――ある検察幹部OBの話では、宗教が絡む疑いがあれば組織的とみなし、今回のようなこともあり得ると。
警察としては、この事件に統一教会の組織的な関与があると疑い、その証拠を押さえるためにやったというふうに考えられるが、その見込み自体が一方的だ。一部メディアで、組織的な関与の報道もあったが、それはすぐに訂正された。メディア側も、統一教会の教団組織の関与はないと踏んで、まずいと思って削除したのだろう。警察発表と警察リークの中で、宗教団体の組織的関与の疑いをメディアに抱かせつつ、ああいう迅速な処理、しかも人権無視的な扱いをしたわけだ。
――メディアも警察に乗せられたと。
そこに一つ、日本の警察とりわけ公安警察の、統一教会というマイノリティ教団に対して非常に固定化された、敵視する、マイナス視する姿勢が端的に表れている。それは、刑事事件で統一教会信者が告訴した場合、警察も検察もきちんとした対応をしない、つまり先ほどの不作為という問題だが、そのことと裏返しの関係だ。
被害者として訴えた場合は動かない、統一教会関係者を被告とするような事件に関しては、異常なほど迅速である。さらに、様々な付加価値を付けて、いかにも凶悪な犯罪が行われたというような雰囲気を作り上げていく。それは公安警察を中心として警察全体の姿勢だ。
私はその背景に、公安警察が、オウム真理教で随分注目されて、警察内でも、社会でも相当評価を受けたということがあると思う。拉致監禁推進者が「次は統一教会だということが既定路線として決まっているんだ」ということを盛んに流しているが、あながち外れているとは思わない。
――公安警察でいえば、オウム対応は被害を阻止できなかったわけで失点という見方もある。それで宗教への、過剰な偏った警戒感もあるという。
私はこの間、CARP(注・統一教会関連団体。学生組織)問題を少し扱ってきた。いわゆる「カルト対策」で大学側が危険視し抑圧を考えている対象教団は、他の教団の勢力が弱くなって注意から外れているという部分があるにせよ、その95%は統一教会、CARPだ。(大学当局による)CARP弾圧の背景には国家権力の思惑がある。その狙いが統一教会であることの表れだ。
弾圧に国家権力の思惑/警察内部に構造上の問題?
その異常な捜査なり、待遇なりが、どの段階からか降りてきた指示によってなされているのか、あるいはこれを担当している部署の責任者なり、現場責任者なりの判断でそうなっているのか。そのあたりの見極めがこれから必要ではないか。
――やはり、山本七平氏の「空気のようなもの」に行き着きますか。
私の感じでは、どうも現場が走っているなあと思う。現場の中に個人的にあるいは損得勘定として、統一教会関連については厳しく当たる、あるいはこれを利用して得点を挙げていく、アピールしていく、拉致監禁問題からどんどん外れていく方が得なんだ、という判断があるように感じる。
ただそれが、反統一教会の確信的な部分を持っているためか、損得勘定によるものなのか、メディア操作という意味でやっている部分が多いのかは、今のところ分からない。これらについて警察内部に構造上の問題が起きているなら、それを指摘していく必要があるように思う。(〈下〉は16日付10面に掲載予定)
【お知らせ】
(1)室生忠氏の新著『大学の宗教迫害~信教の自由と人権について』(日新報道)が全国書店で好評発売中です。
(2)小紙連載「“拉致監禁”の連鎖」は、これまで掲載のパートⅠ~Ⅵの全172回の記事と写真、連載関連の記事とインタビューなどを世界日報HP(ホームページ)で無料公開中です。アドレスはhttp://www.worldtimes.co.jp また、グーグルなどで「拉致監禁の連鎖 世界日報」と検索しても読むことができます。
重大犯罪のイメージ作り/裁判官の損得勘定も
○――――○
――「今回のケースは弾圧についての新しい発見だ」とおっしゃったが。きちんとした法制上、誰からもどこからも文句のつけようのない具体的な法律的な機構なり方法に乗った上で、そこにおける判断とか物の見方をねじ曲げることによって弾圧を加えていく。おそらく民主主義国家・社会における法制上の問題をクリアしながらの弾圧は、こういうものかなという感じはあった。
ただ、今回のケースが国家によるものか、福士という一人の裁判官の判断なのか、そのあたりは情報が足りなくてはっきり言えない。最初の弁護士や検察官の打ち合わせで、問題が単純でないという趣旨のことを裁判官が言っていたのであれば、あのような一方的な訴訟指揮をし、一方的な判決を下すようになった過程で、福士裁判官個人の中に様々な曲折があったはずだ。
――「様々な曲折があったはず」というのを、もう少し具体的に。
日本の刑事裁判、司法界全体の流れや方向性の中に、統一教会問題、拉致監禁問題については、否定的な判断を下すべきだという、ある種の統一的な価値判断というものがあって、福士裁判官が、それに乗り、沿う形で訴訟指揮、判決を行ったのか。それとも福士裁判官個人の中で、そういう疑いを抱きつつ、やはりこういう結論に持っていった方が自分にとって、社会にとって、司法界にとっていいという判断だったのか。個人の中でそういう判断がなされたとすれば、福士裁判官個人にとって得策だ、プラスだ、逆に拉致監禁問題などを持ち出しては、自分にマイナスが及ぶという損得勘定が働いたという印象は拭い難い。
――今回のケースは裁判以前に、警察の捜査段階から異常な枠組みの中で事が進んだ、という印象が強いが。
おっしゃるとおりだ。今回の捜査の状況というのは、いろいろな意味で常識外れというか、異常だ。ある意味、この事件、訴訟に関する警察の対応というのは、歴史に残る、特筆されるべきものだ。
まず、何より公安が動いたということだ。生活安全課でもなければ、通常の刑事課でもない。ストーカー事案で公安警察が動いたというのは、まず聞いたことがない。しかも警察は、警告も禁止命令も何も出していない。いきなり電光石火、告訴状を受理して二十余日で一気に逮捕し、起訴に持ち込んだ。どう考えても異常だ。
――コワイ話です。被告逮捕に関する状況も、いろいろ演出されていましたね。
宇佐美さんは拒否したようだが、頭から上着をかぶせ重大犯罪の犯人であるように見せかけたという。警察から警察署詰めの記者やテレビ局に、今から逮捕するというようなリークをして、その現場を撮らせる、そういう周到さ。また家宅捜索が行われて、洗いざらいというほど何もかも持って行った。ストーカー事案ではあり得ないことだ。
――ある検察幹部OBの話では、宗教が絡む疑いがあれば組織的とみなし、今回のようなこともあり得ると。
警察としては、この事件に統一教会の組織的な関与があると疑い、その証拠を押さえるためにやったというふうに考えられるが、その見込み自体が一方的だ。一部メディアで、組織的な関与の報道もあったが、それはすぐに訂正された。メディア側も、統一教会の教団組織の関与はないと踏んで、まずいと思って削除したのだろう。警察発表と警察リークの中で、宗教団体の組織的関与の疑いをメディアに抱かせつつ、ああいう迅速な処理、しかも人権無視的な扱いをしたわけだ。
判決日に、東京地裁に傍聴券を求めて集まった人たち=昨年12月27日
――メディアも警察に乗せられたと。
そこに一つ、日本の警察とりわけ公安警察の、統一教会というマイノリティ教団に対して非常に固定化された、敵視する、マイナス視する姿勢が端的に表れている。それは、刑事事件で統一教会信者が告訴した場合、警察も検察もきちんとした対応をしない、つまり先ほどの不作為という問題だが、そのことと裏返しの関係だ。
被害者として訴えた場合は動かない、統一教会関係者を被告とするような事件に関しては、異常なほど迅速である。さらに、様々な付加価値を付けて、いかにも凶悪な犯罪が行われたというような雰囲気を作り上げていく。それは公安警察を中心として警察全体の姿勢だ。
私はその背景に、公安警察が、オウム真理教で随分注目されて、警察内でも、社会でも相当評価を受けたということがあると思う。拉致監禁推進者が「次は統一教会だということが既定路線として決まっているんだ」ということを盛んに流しているが、あながち外れているとは思わない。
――公安警察でいえば、オウム対応は被害を阻止できなかったわけで失点という見方もある。それで宗教への、過剰な偏った警戒感もあるという。
私はこの間、CARP(注・統一教会関連団体。学生組織)問題を少し扱ってきた。いわゆる「カルト対策」で大学側が危険視し抑圧を考えている対象教団は、他の教団の勢力が弱くなって注意から外れているという部分があるにせよ、その95%は統一教会、CARPだ。(大学当局による)CARP弾圧の背景には国家権力の思惑がある。その狙いが統一教会であることの表れだ。
弾圧に国家権力の思惑/警察内部に構造上の問題?
○――――○
問題は、公安警察なり検察の中にも、意見の対立というか、流れというか、一枚岩ではない雰囲気を感じることだ。特に警察の方だが、現場の個々の警察官の物の考え方と、警察の上層部が考えている統一教会にどう向かい合えばいいのかということの判断とが、微妙にずれてきているという雰囲気を感じる。その異常な捜査なり、待遇なりが、どの段階からか降りてきた指示によってなされているのか、あるいはこれを担当している部署の責任者なり、現場責任者なりの判断でそうなっているのか。そのあたりの見極めがこれから必要ではないか。
――やはり、山本七平氏の「空気のようなもの」に行き着きますか。
私の感じでは、どうも現場が走っているなあと思う。現場の中に個人的にあるいは損得勘定として、統一教会関連については厳しく当たる、あるいはこれを利用して得点を挙げていく、アピールしていく、拉致監禁問題からどんどん外れていく方が得なんだ、という判断があるように感じる。
ただそれが、反統一教会の確信的な部分を持っているためか、損得勘定によるものなのか、メディア操作という意味でやっている部分が多いのかは、今のところ分からない。これらについて警察内部に構造上の問題が起きているなら、それを指摘していく必要があるように思う。(〈下〉は16日付10面に掲載予定)
(聞き手=堀本和博、片上晴彦)
【お知らせ】
(1)室生忠氏の新著『大学の宗教迫害~信教の自由と人権について』(日新報道)が全国書店で好評発売中です。
(2)小紙連載「“拉致監禁”の連鎖」は、これまで掲載のパートⅠ~Ⅵの全172回の記事と写真、連載関連の記事とインタビューなどを世界日報HP(ホームページ)で無料公開中です。アドレスはhttp://www.worldtimes.co.jp また、グーグルなどで「拉致監禁の連鎖 世界日報」と検索しても読むことができます。