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2012年1月3日
“拉致監禁”の連鎖(172) パートⅥ 『「空気」の研究』の研究
評論家の故山本七平氏の著作『「空気」の研究』
評論家の故山本七平氏の著作に『「空気」の研究』(昭和52年、文藝春秋刊)がある。その場の空気に左右されやすい国民性、物事を単純に白黒に二分し、一方を異質なものと決めつけ、排除に走る視野の狭さなどを指摘している。一部の権力やマスコミのうちに、そういった国民性を故意に増幅させ、ミスリードしていく傾向がある点もえぐり出している。
今日、統一教会や教会員の活動に対し形成された偏見も、そうした類の一つと見ることができる。今回の「ストーカー事件」についても、統一教会絡みの事件として、新聞やテレビは、その基本である記事の正確さよりも、一部週刊誌のような興味本位の取り上げ方に走った。
例えば、宇佐美氏が逮捕された当日の朝日新聞夕刊記事。当連載(4)で指摘したように、見出しに「統一教会信者、逮捕」と掲げ、「~という」曖昧な伝聞調の表現が3個所も使われた上に、明白な誤報(事実誤認)もあった。客観報道というより、公安警察の発表に何の疑問も抱かず鵜呑み報道した偏り、杜撰さを露呈させたものと言っていい。
告訴受理からの警察の段階の踏み方で通常の場合との著しい違いと拙速、検察の起訴という判断にも大いに疑問が残るケースである。公判で「目的犯」の証明が不十分だったのは明らかで、不起訴処分で処理すべきであった。
百歩譲って仮に違法行為があったとしても、軽犯罪程度のものに、公安警察が仰々しく2時間以上の家宅捜索を行ったことも、異常な事態で、戦前・戦中の“怖い公安”を連想させる。一方で、当局というより、統一教会叩きの機運に乗じて、警察、検察官個人の功名争いとする見方も出ている。
『「空気」の研究』では、一方が異質なものと決めつけられ、排除されていく「空気醸成法」を、明治期の西南戦争の例を挙げて論じている。
これは西郷隆盛など士族群と明治政府の戦いだが、この時政府は、「大西郷は、それまで全国民的信望を担ってきた人物」であり、西郷軍を「悪の権化」にしなければ負け戦になると危ぶんだ。
そこで、マスコミを利用し「官軍=正義・仁愛軍、賊軍=不義・残虐人間集団」の図式化が繰り返しなされた。その結果、国民の間に「西郷は賊軍ではない」と口に出すことさえ憚れる空気が作り出されていったというのである。
また、今回の裁判で、事件の背景にある統一教会員に対する拉致監禁問題に踏み込んでの審理が軽視されたのは理解しがたい。拉致監禁問題は今日、頻発している家庭内暴力や子供の虐待など平穏な家庭、社会生活を侵害する問題と同様、時代が抱える病理現象である。しかも、こちらは悪質な拉致ビジネス絡みである。
事件の原点となったKさん失跡の直後、宇佐美氏は、警察に捜索願いを出したが受理を拒否された。未入籍であることや事件性なしと見なされたからだが、実はそこに警察の不作為を見る。
この時に、警察が、法の精神に忠実に、家族とともに婚約者のKさんから事情聴取し、公正な立場でその実態をすくい上げていれば、問題は全く違った展開を見せていたに違いない。
拉致監禁による強制棄教の問題は、当局の重ねる不作為により“闇”が深まる一方である。その中で、いわゆる「ストーカー事件」第1審(東京地裁)判決日を明日迎える。
パートⅥ完
(「宗教の自由」取材班=編集委員・堀本和博、同・片上晴彦、同・森田清策、社会部・岩城喜之)
世界日報〝拉致監禁″の連鎖
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/main5.html