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2011年12月24日
統一教会信者が職業的改宗屋に訴え/ 「クリスマスの願いは、夫が戻ってくることです!」
下記の証言は、ハンガリーに住む三十一歳の統一教会信者、アグネス・ジャンボーさんにより、米国統一教会の公式サイトに掲載されたものです。彼女は祝福結婚をにより、日本人のKさん(日本統一教会の要望で本名は伏せています)と2005年に結ばれ、以来、遠距離間で連絡を取り合ってきました。Kさんは四ヶ月以上前に、日本の〝いわゆる強制改宗屋”に拉致され、今も捜索が続けられています。
元記事はこちら↓
http://www.familyfed.org/news/index.php?id=342&page=1
私はサルカッドという小さな街の貧しい家庭に生まれました。私には母違いで19歳も年上の兄と、父親違いで14歳年上の姉がいます。お分かりのように私の家は、相当にややこしい人間関係でした。私の両親は結婚前に、それぞれ結婚歴があったわけです。
両親は宗教的なタイプでありませんでしたが、一つの理由は1990年までハンガリーは共産主義が支配していたからです。しかし母方の祖母の家族は、厳格なカルビン派の信仰を持っていました。私が子供の時分、両親が共働きしている時間は、祖母が私の世話をしてくれたので、祖母と一緒にしょっちゅう教会に行きました。礼拝の説教はほとんど分からず、老人がたくさん腰掛けている姿を見るばかりで、あまり好感は持てませんでした。その人達は、そこで語られていることを良く分かっていないように見えました。愛を語りながら、教会の外ではがらりと変わるからです。例えば、母が失業しお酒を飲むようになっても、親戚の中で信心深いと思われていた人達は助けてくれるどころか、私達を悪く言うだけでした。子供心に不当だと感じました。人々は愛を語りながら愛し合わないのです。教会で読んでいる聖書とその説明には、何かが欠けていると感じていました。
私の母は、「神様は私達の心の中におられる」と語っていました。教会には失望しても、神様を信ずる気持ちは残っていたと思います。そして私が純潔を守り、人を尊重できる良い態度を育ててくれました。父の宗教については全く分かりません。
統一教会に入信した理由
その父は1991年に他界し、母も97年に亡くなりました。両親を失って、私は兄の家族と暮らすようになりました。高校生の時は寮に住み、週末にだけ家に帰りました。兄や兄嫁と私の関係はとても悪いものでした。ある祝日のこと、家で兄達と過ごすよりはと思って、高校があるベケッサバの統一教会に来てみない、との友人の誘いを受け入れました。その友人はベケッサバのCARPメンバーとして活動していたので、彼女を通じて統一原理を受講するようになりました。「堕落論」の講義を聴いたとき、これこそ聖書やその説明に欠けていたものだ、と強く感じ、ここに私が従うべき真理があると確信しました。高校卒業後、私はセンターに移り住みました。ベケッサバの教会は良い人達ばかりで、文鮮明総裁の教えは、愛と平和についての私の考え方に共鳴するものでした。私はその年に入教し、学生部のメンバーになりました。
2001年にスゼゲドに移り、以来、2007年まで教会のメンバーとして献身的に活動してきました。
私は2005年12月29日に韓国の清平で、現在の婚約者であるKさんとのマッチングを受けました。文総裁が候補者の結びあわせをするということで、申請者は全員韓国に行くことになりました。それは特別な体験でした。私は、マッチングの前日に、
「言語や文化が異なる相手とはコミュニケーションが難しいのではないか」という不安を抱きましたが、祈祷をしながら神様に委ねることにしました。
そして、文総裁は日本人の兄弟と祝福して下さったのです。恐る恐るではありましたが、先ず、彼は私の手を握ってくれました。その時、とても平和な気持ちになったことを覚えています。それがKさんと私の出会いでした。
その時からKさんはいつでも私の手を握ってくれ、どこに行くにも気にかけてくれました。彼はまた、視力の弱い私の友人の面倒もよく見てくれました。Kさんの思いやりに私は何度も胸を打たれました。
一連の行事の後、しばしの別れを迎える私達二人は泣き出しそうな状態でした。
お互いの帰国後、私は毎週のように彼に電話をして、毎回少なくとも1時間は会話をしました。主に教会活動についての話題でしたが、彼と会話する度に勇気をもらいました。私も自分の日々を彼と分かち合えるよう手紙を書いたり、贈り物をしたり、あらゆる努力を重ねました。彼が2008年に私を訪ねてくれた時、私達は2人の将来について語り合いました。その時、最長で二年間は信仰的および経済的な基盤を確立し、結婚生活をスタートする準備をすることを話し合いました。また、国際結婚における法律上の手続きについても検討しました。
夫のお母さんも強制改宗されていた!
Kさんは現在32歳で、2人の兄弟がいます。義母さんは、Kさんが十代の頃、統一教会の信者になりましたが、拉致され強制改宗屋に迫害を受ける中で、信仰を失ってしまったと聞いています。
私は夫のKさんをとても愛しています。法律上はまだ婚姻関係にありませんが、気持ちの中で、そして神様の前では、Kさんは私の夫です。それなのに四ヶ月以上も彼と話すことすらできない状況が続いています。彼が拉致される前、私達は幸せな家庭を築くために多くのプランを立て、結婚の準備をしていました。しかし今や、日本にある宗教的偏見が、私達二人を引き裂こうとしています。彼を拉致した人達が、一日も早く彼を解放してくれるよう毎日祈っています。不当に監禁されている彼を思うと強い痛みを覚えます。毎日毎日、今日こそ監禁の最後の日になるようにと祈っています。私の願いは自由を取戻した彼を再び抱きしめること、そして2人で安らかな家庭を築くことです。自由になった彼の姿を見ること、それが私への最高のクリスマスプレゼントです。
文:アグネス・ジャンボー