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“拉致監禁”の連鎖 パートⅣ、Ⅴを終えて(3) 踏み込み不足の司法判断
拉致監禁への警告が必要
今利理絵さんと智也さんが訴えた裁判では、最高裁が被告側の拉致監禁行為を実質的に事実と認めたとみていい。だから、和解条項には「互いに、相手方の信仰の自由や価値観を尊重し、これに干渉しないことを約束する」と明記された。
尊重し、干渉しないことを約束させたのは、これまで尊重せずに干渉した事実があったことを意味する。
「互いに」という表現は被告側の強い意向で入り、相互に縛りをかけたものになったが、理絵さんが被告側の信仰の自由に干渉した事実はない。
被告の拉致監禁が無かった、あるいは監禁行為はあったが問題ではない、と最高裁が判断したのなら、和解するために1年半もかける必要はない。単純に「上告棄却」とすればいいはずである。
だが、最高裁はわざわざ原告の今利夫妻を呼び、直に切々とした訴えに耳を傾けた。
そうしたやりとりを経て出た和解勧告である。実際には、拉致監禁もしくはそれに近いことが行われ、信仰を棄てることを強要した――。こう、最高裁判事が判断した、とみて差し支えあるまい。
これまで拉致監禁事件については、拘束して身体の自由を奪ったことや強要などに対する犯罪性は、他の裁判でも認めてきた。
しかし、強制棄教を目的とした拉致監禁の手法に疑問を投げかけ、拉致監禁を「信教の自由」の侵害、憲法違反だとする見解から出た判断(和解勧告)は、今利事件が初めてである。
今利さん夫妻は、最高裁判事から和解は判決と同じ効力を持つことも説明された。だから和解で、理絵さんが再び拉致監禁される可能性は相当に低くなった。その意義は決して小さくはない。
しかし、統一教会信者を狙った拉致監禁は依然として続いている(昨年は12件)。
そうした現状を見ると、今後も起こり得る拉致監禁事件を牽制する意味で、拉致監禁の違法性をしっかりと明記した司法判決を得ることが必要だったとも言える。
宗教ジャーナリストの室生忠氏は「今利裁判は差し戻しが妥当だった」と語る。
拉致監禁を問題視した最高裁の判断(和解勧告)を蹴った牧師が、法的矛盾に満ちた高裁判決だけをもとに勝手な主張をすることも考えられる。
親族を新興宗教から退かせたいと考える人が、東京高裁の判決文を見て「子供を監禁下に置いて宗教から脱会するよう強要しても問題ない」と勘違いし、違法行為に突っ走ってしまう可能性もある。
最高裁がさらに踏み込んで、拉致監禁の実行犯たちを牽制しなかったことで、いまなお拉致監禁という犯罪が行われている現状を見るにつけ、司法の認識が甘かったともいえる。
結果的に和解を受け入れたが、理絵さんと智也さんは拉致監禁・脱会強要の違法性を司法判決で得ることに最後までこだわった。
米国のディプログラミング(強制改宗)は、司法が何度も拉致監禁行為に有罪判決を下し、莫大な額の損害賠償請求も認めた。ディプログラミングに関わった団体の責任にも言及し、損害賠償の支払いを命じた。
日本の司法が拉致監禁という重大な人権侵害、犯罪を明確に「違法行為だ」とする判断を示さなかったことが尾を引いていることは否めない。今利裁判の段階で、司法が拉致監禁事件全体にもっとはっきりと警告を発しておく必要があったと言える。
(「宗教の自由」取材班)
過去の記事は世界日報社ホームページでも閲覧できます。
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/main.html