有識者の声
はじめての宗教論 左巻 ナショナリズムと神学より
元外交官 文筆家 佐藤 優
佐藤 優(さとう まさる) プロフィール
1960年1 月18日生。元外交官、文筆家。埼玉県出身。ノンキャリアの専門職員として外務省に入省。ロシア情報収集・分析のエキスパートとして活躍し、「戦後最強の外交官」「外務省のラスプーチン」などの異名をとった。同志社大学神学部卒業、同大学院神学研究科修士課程修了。神学修士。
はじめての宗教論 左巻 ナショナリズムと神学より
出版社: NHK出版
ISBN:978-4140883365(4140883367)
発売日:2011/1/6
目次
序章 キリスト教神学は役に立つ―危機の時代を見通す知
第1章 近代とともにキリスト教はどう変わったのか?
第2章 宗教はなぜナショナリズムと結びつくのか?
第3章 キリスト教神学入門1―知の全体像をつかむために
第4章 キリスト教神学入門2―近代の内在的論理を読みとく
第5章 宗教は「戦争の世紀」にどう対峙したのか?
第6章 神は悪に責任があるのか?―危機の時代の倫理
第1章 近代とともにキリスト教はどう変わったのか? より抜粋
(P33〜P34)
つまり「イエス・キリスト」とは、イエスがメシアー=救い主であるという信仰告白なのです。
ところがプロテスタントには、イエスがキリストであるということを認めない教派もある。たとえばユニテリアンがあります。イエスは救い主ではなく、偉大な教師だったという主張です。プロテスタントの規範からすると、キリスト教の基準というのは、イエスが救い主であることを認めるかどうかにあるでしょう。しかし、ユニテリアンがキリスト教から排除されることはありません。
そのほか、統一教会(世界基督教統一神霊協会)はどうかというと、教団は文鮮明師をメシアとします。イエス以外のものを救済主とすると、これはキリスト教の公理系違反になるわけです。もっとも、統一教会がキリスト教から派生した新宗教であることは、間違いありません。一部のキリスト教徒が統一教会を目の敵にして、攻撃するのは間違っています。伝統的なキリスト教と統一教会の差異を正しく認識し、相互に信仰を尊重し合うことが重要です。特に統一教会の信者を無理矢理に連れ出して、改宗を求めるような行動は、断じて許されません。また文鮮明師をメシアと考える統一教会の人々の心情を尊重すべきです。自分たちがされたくないことを、キリスト教徒は他人に強制してはならないからです。日本のプロテスタント教会の統一教会に対する寛容に欠けた姿勢は、自己絶対化の罠にキリスト教徒が陥る危険な傾向であると私は考えています。
キリスト教から見るならば、当然、ユダヤ教もキリスト教ではないことになります。なぜならユダヤ教とはイエスを救い主と考えないからです。では、モルモン教はどうかというと、キリスト教と見なすギリギリの境界線上にある。というのは、モルモン経典を手にまく入れたジョセブ・スミスの位置づけは、救い主ではなく預言者だからです。キリストの幕屋はどうか?キリストの幕屋は、旧約聖書を重視する無教会のグループが母体ですが、これもイエスは救済主であることを認めるかという観点で見るならば、キリスト教の枠の中に入るわけです。つまり、どの教派をキリスト教とするかということに関して、プロテスタントには相当の幅があることになる。このことを冷静に認識すべきです。