統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。被害者の声。陳述書 「死にかかっているゴキブリ」と牧師が侮辱 富澤裕子
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被害者の声


陳述書

T - 「死にかかっているゴキブリ」と牧師が侮辱 -


陳述書(要約)

 私は鳥取教会襲撃事件の被害者で、この事件の際、拉致されて約1年3ヶ月に亘って監禁された者です。私は1966年4月15日、父、母の元に生まれ、兄妹は2才年下の弟と3才年下の妹がいます。統一教会には1988年10月に大阪で入会し、その後1990年3月に一旦辞めましたが、1992年11月に鳥取にて再度入会しました。以下、米子での第1回目の監禁も含めて、事件の経緯について簡単に記述します。

  • 米子での第1回目の監禁
     1994年6月3日、私は勤務先の幼稚園から自宅に帰り、家族から外食を誘われて車に乗りました。ところが、そのまま米子市のサンシティ米子というマンションの3階の部屋に連れて行かれ、そこで8月24日まで約80日間に亘って監禁されました。ドアの防犯用のチェーンは施錠したままの状態で南京錠が掛けてあり、南京錠の鍵がなければドアは開かないようになっていました。また、ベランダの窓の内側と外側の下のサンにはつっかえ棒がしてあり、開かないようになっていました。この時、監禁場所に現れて説得を試みたのは佐藤勝徳牧師でした。8月中旬、私が断食をして死ぬことを決意したところ、父は「ドアの鍵をはずすから牧師の話を聞いて欲しい」と言って、ドアの鍵をはずしました。このため24日の朝、家族の隙を見てマンションから脱出することができました。
  • 鳥取教会襲撃事件
     1997年6月7日午後2時、私は母に鳥取教会まで来てもらい、そこでFさんという教会員と共に母と会いました。午後2時半頃、父と弟を含む大勢の人達が鳥取教会を襲撃し、私を担ぎ出しました。私はワゴン車に乗せられ、拉致されました。途中、神戸真教会の高澤守牧師から弟の持っていた携帯電話に電話が入りました。父が電話に出ると、父は「あー、高澤先生」と言って、今回の襲撃計画が無事成功したことを連絡しました。鳥取教会の元教会員でMさんという人が以前、高澤牧師に監禁されたということを私は教会で聞いて知っていたので、今回の襲撃事件にも同じ反対牧師が関与しているのだと思いました。
  • ホテルでの監禁
     ワゴン車は海辺のホテルの前に止まり、私はホテルの一室に連れ込まれました。ホテルには両親と弟、妹の他、見知らぬ女性と私立探偵の男性2人が泊まりました。父は夜、入り口の手前に布団を敷いて休みました。翌日、探偵の1人が入り口のドアに特殊な装置を施し、特別の鍵がなければ開かないようにしました。またこの日、「社長」と呼ばれる人物が様子を見に来ました。社長は、2人の探偵の1人を「ツカモト君」と呼びもう1人を「シライ君」と呼びました。
  • ライオンズマンションでの監禁
     6月9日の午後10時半頃、私はホテルの中で探偵の1人から手錠をかけられました。彼は手錠の2つの輪のうち一方を私の腕に、もう一方を父の腕にかけました。私は、ホテルから担ぎ出され、ワゴン車に詰め込まれ、大阪まで運ばれました。車はライオンズマンションの前で止まりました。マンションの前には見知らぬ太めの男性が待ち受けていました。私はライオンズマンション10階の1006号室に担ぎ込まれました。エレベーターを降りて部屋の入り口付近に来ると、異臭が立ちこめており、喉が痛くて「助けてー」と叫ぼうにも声が出ませんでした。部屋の入り口のドアの防犯チェーンには南京錠が2つ施され、特別の鍵がなければ開かないようになっていました。窓はロックのところに針金が巻き付けられており、これも開かなくなっていました。
     6月10日、高澤牧師が現れ、1時間ほど話して行きました。高澤牧師はこの時、私のことを「6月のナメクジ」「屋根裏のネズミ」「死にかかっているゴキブリ」等と言って侮辱しました。この後、高澤牧師は約1週間ほぼ毎日監禁場所に現れ、その後は2日に1度のペースとなり、最後は週に1・2度現れるようになりました。この日以降7月下旬まで、高澤牧師は監禁場所に来る度に私の背中を叩いたり、膝を音がするほど叩いて行きました。また、大江平三郎という人が週3回ほど監禁場所に来ました。その他、高澤牧師の紹介で元統一教会員が全部で8人監禁場所に現れました。高澤牧師の話では、私を含めて一度に7人監禁していたそうです。ある時、彼は「オイ、マンションの鍵をいくつ持っていると思う?」と言って自慢そうに話してきました。
     7月初旬頃からは神経性の胃痛に悩まされました。この胃痛は監禁期間中続きました。7月の終わりに、私は膀胱炎になりました。この時、高澤牧師は「絶対に病院なんか連れて行かないからな」と言って、私は病院に行かせてもらえませんでした。
     7月か8月、父は鳥取の警察に呼び出されて事情聴取を受けに行きました。帰ってくると、父は「大丈夫だった」と言いました。私は父が事情聴取を受けたので、間もなく私も呼び出されて解放されるものと思っていました。しかし警察からは何の連絡もありませんでした。
     8月下旬以降、高澤牧師は出張がない限り、週に1・2回は監禁場所に現れて、統一教会の教理批判や教主批判、活動に対する批判をしていきました。
  • 新大阪シティコーポでの監禁
    9月初旬、新大阪シティコーポというマンションの8階の801号室に移動になりました。引っ越しの際には高澤牧師の息子が車を運転しました。入り口のドアにはライオンズマンションと同様、南京錠が2つ取り付けられてあり、特別の鍵がなければ開かないようになっていました。南京錠の鍵は父が持っていました。窓のロックには針金が巻き付けてあり、開かないようになっていました。1年後にこのマンションを引き払うとき、高澤牧師は「これを自分がやった」と言っていました。
     9月の下旬か10月頃、高澤牧師は東京で反対牧師達の会議に参加した時のことを話してくれました。高澤牧師によると、別の牧師が、鳥取教会襲撃事件について報じた中和新聞の記事を見ながら「こんなことをした牧師は誰だ?こんなことをされたら自分達がやりにくくなる。こんなことは親だけに任せておけばいいのに」と言ったので、高澤牧師は「私がやりました」と答えたそうです。高澤牧師はこの時、他の牧師達全員から非難を浴びたけれども、宮村峻だけが後で「私も同じことをしただろう」と言って、高澤の肩を持ったそうです。
     1989年の2月頃だったと思いますが、高澤牧師は夫婦共に監禁している教会員がいることを教えてくれました。以前は夫婦を監禁することはしなかったけれども、最近は夫婦で監禁しても成功することがわかり、夫婦共に監禁するようになったのだそうです。その後、その夫婦は信仰を失い、高澤牧師は夫の方を私が監禁されていた部屋に連れてきました。高知県の田村さんという人でした。
     1998年3月9日頃、宮村峻が元教会員2人を連れて監禁場所に来ました。宮村はとても激しい口調で統一教会批判をしました。私はもはや偽装脱会をしなければ監禁場所から出ることは難しいと考え、「分かりました。もう辞めます」と言いました。
  • 偽装脱会後の監禁の継続
     偽装脱会をして以降も監禁は続き、高澤牧師や大江は監禁場所に来る度に統一教会批判をしていきました。また、偽装脱会をして以降、青谷ルーテル教会の執事の尾島淳義が10日に1度ほどの割合で監禁場所に来て、教理批判をしました。
     3月だったと思いますが、高澤牧師は、統一教会を脱会させたのは私で408番目だと言いました。また、今まで監禁中に偽装脱会したり脱出したりして脱会させられなかったのは40数名だとも言いました。
     時期ははっきりしませんが、高澤牧師から聖天歓喜教という宗教団体の信者を監禁していることを何度か教えられました。高澤牧師によると、彼女を解放するときに「今度(聖天歓喜教)に行ったらまた監禁するぞ」と脅したそうです。その後、彼女は神戸の警察に監禁されていたことを訴えたけれども、警察は高澤牧師の名前を聞いたので事件にはしなかった、と高澤牧師に伝えてきたそうです。
     1998年5月、初めて広実病院という総合病院に行くことができました。この時は、両親と尾島が監視としてついて来ました。医師からは肌の色の白さを指摘され、運動をするように言われました。この後、検査を受けて帰りました。翌日、両親と大江の監視付きで再度病院に行きました。この日、胃カメラで検査したところ、「胃下垂になっており、蠕動運動が弱っている」と言われました。
     6月か7月頃、高澤牧師が神戸の警察官でスガワという人と交流がある旨教えてくれました。また高澤牧師は、鳥取警察にはあまり統一教会に詳しい人がいなかったので、神戸の警察から鳥取の警察に連絡を入れたと言っていました。
     7月頃、高澤牧師は、昨年は統一教会員を18人監禁して全員脱会させたと言いました。そして、今年は既に20人ぐらい脱会させていると言いました。
     8月初旬、両親と高澤牧師と共に広実病院に行きました。この日はヘルニアであるとの診断を受けました。
     8月8日頃、高澤牧師と共に外出しました。このとき高澤牧師から、弟が何回か警察に呼び出されたと聞きました。
     8月15日、高澤牧師と共に外出しました。この時、高澤牧師は「刑事告訴が喧嘩両成敗でだめになったので、統一教会は今度、民事裁判を提起してきた」と言いました。そこで私は「あんなひどいことをしたのだから当たり前だ」と言い、脱会届けを書くことを提案しました。すると高澤牧師は「そうしてくれるか」と言って安心していました。
  • 神戸真教会での「リハビリ」
     8月30日、マンションから神戸真教会に移動し、教会の2階に寝泊まりして「リハビリ」と言われる期間を過ごすことになりました。両親は1階の礼拝堂の隣の部屋に泊まりました。同じく「リハビリ」と言われる期間を過ごしている元統一教会員は、私と同じ女性部屋には私の他に2人、隣の男性部屋には3人いました。また、この時点で、マンションで監禁されていた人は合計7人で、そのうち2人は田村さんとは別の夫婦でした。この夫婦の子供は、夫婦の意思とは無関係に、親族が見ているとのことでした。尾島の所属している青谷ルーテル教会の近くには、父兄の勉強会のために使用される一軒家があり、そこで統一教会信者を子弟に持つ親達のための勉強会が開かれると聞きました。私が「リハビリ」期間を過ごしていた時、神戸真教会には3組ほどの親族が統一教会信者の子弟のことで相談に来ていました。この人達を高澤牧師、高澤孝子(よしこ)婦人、鈴木副牧師、尾島それに私の両親が相手をしていました。
     9月の初旬、神戸真教会で体重を量ると、普段47キログラムであった体重が41キログラムになっていました。マンションで一番体調が悪かった頃は30キログラム台であったと思います。
  • 脱出
     9月15日午後2時25分、他の元信者が外出し、部屋で一人になったので、置き手紙を残してマンションから脱出しました。

以上

1998.10.2

  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

    ►書籍紹介

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