Q&A
Q
統一教会側は「拉致・監禁」と言っていますが、実際にはそれは「保護・救出」であって、親族間における「話し合い」に過ぎないという反対派の主張を聞きました。真相はどうなのでしょうか?
A
親族らは、話し合いの環境づくりと称し、信者をマンションなどに監禁しますが、その本当の目的は、反対牧師と引き合わせ、統一教会信者を脱会説得することにあります。“話し合い”というのは建前であって、脱会を成功させるための作戦の一環にすぎません。
脱会させることが目的なので、もし「こんな閉ざされた場所なんかで、反対牧師とは会いたくない」と拒めば、親族と共に無期限となり得る監禁生活が、延々と継続されることとなってしまうのです。
山崎浩子さんの場合、「(親族から)原理講論の解説をしてくれと言われて、必死で説明しても、ほんの最初の三行でつまずいてしまう。どうして、うちの親族は、こうも物わかりの悪い人間たちなのだろう」(『愛が偽りに終わるとき』185ページ)と嘆いていますが、これはほとんどのケースで用いられる作戦の一つです。親族は信者の考え方や統一原理を理解しようとする動機から講義を聞いているのではなく、初めから暗礁に乗り上げるよう教理論争のまねをし、最後には「やっぱり納得できない」と言って、牧師の介入のチャンスを得るため、本人からの承諾を得ようと仕向けているだけなのです。
本当に「話し合い」なら、自由な環境で行い、お互いの心が通じ合って完全に理解し合えるまで、徹底的に話し合うべきなのが常識的です。
ところが、やがて反対牧師(親族でない説得者)が介入すれば、浅見定雄氏が「親は、説得者と本人とのやりとりにあまり口を差し挟むべきではない」(『統一協会=原理運動』38ページ)と指導しているように、親族は事前の計画どおり、もっぱら“監視役”に退いてしまうのです。
浅見氏は、「本人が……分かってくれた(と私は信じた)のに、家へ帰ったあと再び統一協会へもどってしまったという痛恨の事例も幾つかある」(前掲書44 ページ)と述べ、説得した信者が、その後も統一教会の信仰をもち続けるケースを「痛恨の事例」だと告白しています。
また、川崎経子牧師も「説得について二、三の注意」として、「(牧師と会わせる際に)絶対に妥協して期限を切ってはなりません。期限つき説得は、成功しません。期限を切った時に、すでに勝敗は決定的です。……裏を返せば『一週間我慢して自己防衛すれば……原理に帰ることができるのだよ』と、子どもを励ましていることになるのです」、「複数(2人)の説得者の利点は……A牧師の説明では不十分だったことを、B牧師の言葉によって補うことができるからです。……異なった目で見ることによって“偽装脱会”を見抜けることです」(『統一協会の素顔』191~193ページ)とし、信者が脱会を決意した後も、「落ち込み、ゆれ戻しは必ずやってきます。まだ安心はできません」(同195ページ)などと述べています。このように、牧師は「期限つき説得」を強く戒め、脱会に至るまで無期限の脱会説得をするよう指導しているのです。
その上で、念を押すように「ツメが甘くなっていませんか」(196~197ページ)と強調し、統一教会の信仰を“根こそぎなくす”ための指導を徹底させています。これらの発言から分かるように、反対派の眼中には、統一教会信者を「脱会させる」ことしかありません。信者の信仰を尊重する配慮などないのです。 “ツメ”が甘いかどうか、あるいは“勝敗”を云々すること自体、それが尋常な話し合いの場ではなく、“信仰(思想)の破壊工作”の場であるとしか言いようがありません。
このように、統一教会信者の脱会を徹底させるその姿勢は冷酷そのもので、彼らの言う「話し合い」なるものを終えるには、“脱会”という選択肢しか与えられていないため、統一教会信者は、それこそ地獄の苦しみを味わうこととなります。
明確に脱会を拒んだ後藤徹氏のケースでは、監禁期間が12年5か月の長期に及んでいます。この監禁の長期化は、脱会しない限り監禁から解放しないためであり、このようなやり方が「話し合い」と呼べるはずがありません。